哲学者としての三浦梅園

 


 その3:コミュニケ−ションにおける哲学の役割
 

 最近、日本では「国際化」ということがよく言われるようになりました。流行 語を以って表現するならば「今日の世界はボ−ダ−レス(国境のないこと)がト レンド(流れ)であり、このような情勢の中で日本はよりいっそうの『国際化』 を推進する必要に迫られている」という所でしょう。確かに、日本人は周囲を海 に囲まれた島国であり、モノによる外国との交流は盛んでしたが、人そのものの 交流、異なった民族や宗教の人々と生活を共にしたという歴史に乏しいのは事実 です。それ故に、日本人は閉鎖的であり特殊であるという主張も説得力を持って いますし、だから国際化なんだという主張にもそれなりの理があるようにも思え ます。しかし、そもそもどうして今になって国際化が、しかも日本においてだけ 話題になるのかよく分かりません。日本が経済大国になったからだという人もい ますが、それなら一体何のために、そして誰のために日本が経済大国になったの かということになり、意地悪な見方をすれば、企業の儲けのために日本は国際化 を迫られているのだということになってしまいます。一歩譲って、国際化が世界 の流れであって、避けられない現実だというにせよ、何で今さら日本だけが特殊 で、国際化の必要があるのかがはっきりしません。「国際化」つまり英語で言う ところの[internationalization]という言葉は日本だけで盛んに用いられてい るようですけれども、どうして日本だけが「国際化」について大騒ぎをしてい て、ほかの国はそうでもないのか? だいたい「国際化」とは何なのか? この ような疑問に答えるためには、「国際化」という言葉を日本の特殊事情から一度 切り離してみて、より広い世界史的視野から再検討する必要があると思います。

 私は、「国際化」というものを人間のコミュニケ−ションの領域の拡大にとも なう社会そして文化の変化として考えます。つまり、経済や社会の発展によって 人々の交流する範囲が広がることによって、その社会そのものを成り立たしめて いる人間関係のあり方が変化していくこと、これが「国際化」の意味ではないか と考えるわけです。この観点からしますと、世界史において国際化が進展した時 期は、古代の成熟期と、ヨ−ロッパが世界へ進出していった近代から現代にかけ ての時代ではないかと言えるでしょう。まず、古代についてですが、古代社会は その成熟と共に、多くの思想家や宗教家を輩出しています。特に、世界の四聖人 と言われる人々の3人までがほぼ同時代に生きていたことを考えると、単なる偶 然以上のものを感じざるを得ません。私はこのような事実の背景に古代における 国際化の問題があったのではないかと考えています。つまり、古代社会が成熟 し、そのコミュニケ−ションの範囲の拡大につれて、今までの民族中心のコミニ ケ−ションのあり方に限界が生じ、より広く、だれにとっても通用するコミュニ ケ−ションの基盤が要求されたというわけです。次に、近代ヨ−ロッパの方です が、この時代の哲学はあのデカルトのコギトの発見以来、認識論の探究が中心と なりました。このことの裏には次章以下で述べる近代科学の発展があったわけで すが、同時に大航海時代以来のヨ−ロッパ世界の拡大というものが背景にあった ように思われます。宗教にせよ、習慣にせよ全く異なる人々との接触が、人間の 認識の根本原理は何か、いかなる人々にも共通な思考のしくみは何なのかという 問題意識を生む原因の一つではなかったのかとうわけです。

 実は、私の専門は西洋哲学なのですが、この学問をやっていると、まず日本人 の場合、その言葉と論理に対する執念に驚かされます。これは西洋哲学に限らな いことですが、本来、哲学というものは対話から生れたと言うことができると思 います。中国の諸子百家にせよ、インドの六師にせよ、哲学はその始まりにおい て今日のような文献学的なイメ−ジを持ったものではなく、むしろ対話、時には 論争のバトルロイヤルの様相を呈していたことも多かったのです。当時は政治や 宗教とのかかわりもあって、論争に勝つこと、自説を他に対して有利に展開する ことは社会に直接的な影響を及ぼしていました。特に、西洋哲学の場合、その歴 史の根幹にプラトンの対話編があることからも察せられるように、言葉による真 理の探究が重んじられ、他の文明に比べてより精緻な論理学を完成させるように なります。そして、中世において、古代ギリシャのような対話編そのものは影を ひそめたものの、その論理展開をより精製した形の教理問答が多く生れるように なりました。これは、反対者の考えと自分の考えとを並列させ、相手の論理を十 分に展開させたうえで、それを論駁し、自説の正当性を主張するという大変手の 込んだものです。当時のヨ−ロッパでは、このような知的土壌のうえに、神の存 在証明とか、啓示による真理と理性による真理との違いについてなど多くの哲学 的・宗教的論争が繰り広げられていたわけです。神の存在証明というのは、有限 な人間が神の存在を頭で考えることができる、ただそれだけのことを以って神の 存在を主張しようとするものですが、一見日本人にとって馬鹿げていると思われ ることでさえ、彼らは論理的正当性を以って主張し、論争を繰り返してきたので す。この論理に対する執念、これが実は他者に対するコミュニケ−ションへの執 念、日本人が今まで必要とすることのなかった国際化の前提だと思います。

 この意味で、日本の思想は、論理の徹底という点で西洋哲学とは際立った対照 をなしていることは、一般に言われているとおりです。実は、この形式の文献は 日本では、奈良時代における最澄と徳一との論争に見られるのですが、その後の 歴史からはほとんどその姿を消してしまいます。本来、対話とか論争というもの は対等の人間関係、いわゆる横の人間関係を前提としなくては成り立ちません。 それ故、日本語のように丁寧語のみならず、尊敬語や謙譲語が発達し、時として 敬語の使い方から主語を特定しなくてはならないような国において哲学が生れる のは極めて稀といわざるを得ません。従って、梅園が自然のみを師として、自分 と先人たちとを同レベルに置いたということは特筆すべきことといえます。

此故に、天地達観の位には、聖人と稱し佛陀と號するも、もとより人なれば、畢 竟我講求討論の友にして、師とするものは天地なり。(『多賀墨郷君にこたふる 書』 岩波文庫 「三浦梅園集」16p )

一般的に見て、梅園はその哲学文献の多くを書簡の形で残しています。上の「多 賀墨郷君に与ふる書」もそうですが、主著である梅園三語以外のテキストの多く は、弟子からの質問に答えたものや、知人からの論駁に答えたものが結構多いの です。梅園は、今から見れば田舎の国東半島で生れ、そこで亡くなった人ですか ら、さほど知的環境に恵まれているようには思えないのですが、実際はそうでは なく、思索を育む伝統的地盤も、またそれを発展させる知的な友人も多かったよ うです。特に、この点について偏阿上人との関係については特に注目すべきもの があると思います。このことについては、すでに岩見輝彦氏の「三浦梅園の聲主 の学」でその重要性が主張されているのですが、私もこの考えにほぼ賛成です。 というのも、彼の主張するように、梅園はその大量の読書にもかかわらず、しか もそれについてのノ−トが数多く残っているにもかかわらず、条理についての発 想の痕跡が見当たらないこと、そして偏阿上人に関する漢詩においてのみその痕 跡が認められる点などからして、梅園哲学の根幹を成す条理の直観に偏阿上人と の対話が決定的な意義を果たしたことは否定できないと思います。もっとも、単 に彼との対話のみから条理の直観が生れたと考えるのは無理なことであり、それ 以前からの、少年時代からの多くの人との対話の蓄積のうえに条理の発想が出て きたと思います。いずれにせよ、ここで言えるのは、創造的な発想の源泉は書物 を通じての受動的な知識の受け入れではなく、むしろそれを地盤としつつも、よ り能動的な対話と討論にあるということです。

 ところで、このような対話には、先ほどにも述べたように、その前提となる論 理的基盤が要求されます。本来、このような論理の基礎を探究するのが哲学であ り、存在論にしても認識論にしても、その視点は異なっていますが、このことに は変わりがありません。それだからこそ、哲学自身において、対話や討論が重ん じられ、論理学が展開されたわけです。従って、哲学とは言葉自身を通じて世界 を知るために言葉を探究する学と言うことができます。いずれにせよ、哲学者に はかなり鋭い言葉に関する感性が要求されると言ってよいでしょう。短歌の世界 では「言葉を磨く」という表現があるそうですが、哲学も言葉を探究する以上、 「言葉を磨く」必要があります。ところが、ちょっと見れば分かることですが、 短歌のような文学と哲学とでは同じように「言葉を磨く」にしても、その趣を全 く異にしています。文学では、一般の人々にすでに理解され親しまれている言葉 の意味を用いてある特定の状況の特殊性に迫ろうとします。短歌を例に取るなら ば、そこにしかない一瞬の輝きを、日常の言葉をうまく当てはめることによって 捉えようとするわけです。ですから、たとえ難解な短歌があったにせよ、そこで 使われている言葉そのものの意味は学術用語のような難解さを持っている訳では ありません。むしろ、日常的な普通の言葉を以って、いかに特定の状況のその特 殊なありようを短い文脈の中で表現できるかが問題となるわけです。これに対 し、哲学は一瞬だけのもの、その場だけのものではなく、可能な限り一般的なも の、普遍的なものを追及します。それ故、哲学の表現するものは世界のあらゆる ものに関わっているのですが、その一方で、そこで用いられる言葉そのものは、 それを用いる哲学者によってさまざまで、特殊のものとなってしまうわけです。 言わば、文学の世界で言葉は一般的な意味を以って特殊な世界を表現するのに対 して、哲学は特殊な意味を以って普遍的な世界を再構成しようとするわけです。

 とはいっても、哲学の言葉は日常的な言葉づかいから離れて勝手に作られてい るわけではありません。むしろ、日常的な言葉の使用を熟知することなしに、ま たその言葉の歴史を知ることなしに哲学の言葉は生れません。この意味で、梅園 が言葉の用例・意味などについて詳しいノ−トを取っていたことは注目に値しま す。よく梅園哲学は言葉が難解でとっつきにくいという話を耳にしますが、これ は彼が自らその言葉を研究し磨きをかけてきたために、それまでの人々の言葉の 使い方と大きな違いが生じてしまったからだと思います。もちろん、用いられて いる漢字そのものが現代人にとって馴染みがないのは確かですが、もしそれだけ だったなら梅園の研究は中国哲学の専門家によってもっと進められていたはずで しょう。この点については、岩見輝彦氏が「三浦梅園の聲主の学」の中で梅園の 聲主論の研究を通して考察をされています。実は、私がこの梅園の言葉に関する ノ−トのことを知ったのはこの本によってなのですけれども、この意味は岩見氏 が考えている以上に重要な意味を持っているように思えます。というのも、新し い哲学の登場の裏には、必ずといっていいほど身近な言葉に対する反省的な営み があったからです。

 西洋の哲学は、周知のとおりギリシャから始まり、中世・近代などさまざまの 時代を経て今日に至っていますが、この哲学史を学んでいて気付くのは、哲学の 中心となる言葉がギリシャ語からラテン語、そしてドイツ語などの近代語に移っ ていくたびごとに新しい流れが生れているということです。特に、哲学の核にな る基本的な用語が新しい言葉に移されると同時に、新しい哲学が生れているとい うことができます。私はもともとドイツ観念論の哲学をやっていたのですが、そ こで気付いたのは、この哲学の流れの初めに来るカントにおいて哲学の言葉とし てのドイツ語が確立されたということです。正確には、ドイツ語による哲学はウ ォルフという人から始まるのですが、この頃にはまだラテン語の影響が 強く、 カントの就職論文もラテン語で書かれています。しかし、彼 の主著である三批 判( 「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」)等の著作はドイツ語 によるもの であり、私も大学でドイツ語をやることになったわけです。ドイツ に限らず、イギリスでも、フランスでも多くの著作はすでにその国の言葉で書か れるようになってはいたのですけれど、他の国では哲学用語のほとんどがラテン 語からの借用語であるのに対し、ドイツ語の場合はそのほとんどがドイツのいわ ゆる大和言葉なのです。これは近代におけるドイツ哲学の位置からして非常に重 要な意味を持っているように思えます。今ではすでにドイツが哲学の中心ではな いのですが、今日に至るまでヨ−ロッパの哲学はドイツ観念論の問題意識の上で 展開されています。その意味で、言わばドイツは近代哲学の一つの典型を生み出 したといっていいでしょう。このことからも、梅園が自ら独自に言葉の探究をし ていたこと、そしてその後に条理学という独自の哲学体系を築き上げたこととは 深い関係があると思います。ところで、このように哲学の用語そのものには哲学 者個人によって、またその文化的な背景によってさまざまな意義づけがなされて いるわけですけれども、その対象はあくまで普遍的なもの、いかなる物事におい ても見出されるべきものであると言わなければなりません。それは、さまざまな 物事から偶然的のものを取り除き、より必然的なもの、つまりあらゆる物事の底 にある根本的なもののあり方を探るのが哲学の目的ということができます。実 は、私が大学で初めて本格的に哲学を勉強した相手がカントだったのですが、彼 の場合、それは「先天的(ア・プリオリ)なもの」の可能性の探究を通してこの 普遍性を探究したということができるでしょう。「先天的なもの」というと医学 や生物学の言葉としてよく使われますが、この場合、我々が理性によって思考 し、物事を認識するさいに最低限必要なル−ル、すなわち認識の最も基本的なし くみと考えればいいと思います。ですから、これは当然あらゆる経験に先立って 我々の認識を形式的に決定づけていると いえるのですが、まさにそれ故に、医 学や生物学などの経験科学に先立っていると 考えね ばなりません。言わば、こ こにおいて哲学の求めているのはすべての物事の前提 となっている根源的なも のというわけです。カントにあっては、これが「先天的なもの」であり、これに よって与えられる「先天的総合判断 (der synthesis Urteil a priori)」 によっ てあらゆるものに適用できる認識の根本的原理、つまり「普遍妥当性 (allgemeine Gultigkeit)」が見出されると考えていたわけです。一般的に、日 本人はここまでして認識の根源をつきとめようとは思いません。「先天的なも の」を見出さなくても、経験的な科学のレベルで物事が説明されるならそれでい いと言うのが普通でしょう。しかし、ヨ−ロッパの知的伝統においては、学問そ のものの確実性を保証するもの、我々の知性の基盤を確立すべきものとして哲学 の役割が必要とされていたのであり、カントはそれを認識論の立場から探究して いたのです。

 この意味で、梅園哲学は条理による存在論の立場が第一に来ますが、この条理 の原理は同時に認識論に適応されています。これがあの「反観合一」です。本 来、存在論と認識論とは車の両輪のようなもので、梅園のように徹底して自然を 探究する以上、どうしてもそれを支える認識の方法についての考察が必要となっ てきます。

条理者。一一也。分而反焉。合而一焉。是以。反観合一。依徴於正。非可以私調 停 也。 「玄語 例旨」
(条理とは、一一である。分かれて互いに反し、合してひとつになる。これ故 に、 互いに 相反するもの観つつ、両者のもとにある一を見いだす。正しいあ り方に従い つつ、その現れによって物事を観る。人間の主観的な立場で解釈を 下してはならな い。)

普通、我々は認識論というと認識する人間と認識される対象との2つの間での 「認識」ということを考えます。確かに、この2つが認識を成り立たしている両 極なのですが、これ だけでは認識の確からしさ、カントの言う普遍妥当性は保 証されません。というのも、 これだけではその人の認識はその場におけるその 人にとって(for him)だけ感覚されたもの、経験されたものにすぎず、常にその 認識は正しいのか、他の人にとっても同じようにそれは正しいのかははっきりし ないからです。例えば、常識的に正しいと思うことも、それは今までの経験にお いてたまたまそのように思えるだけで、外国の人や世代の違う人には通用しない 場合も多いものです。このような常識的な立場で物事を推し測ること、自分にと っての経験からだけで物事を判断することを梅園は、上にあるように、推観とし てこれを退けました。真に普遍的な、そしてどこでも通用する正しい判断のため には自然のあり方を考慮した判断である反観こそが必要だというわけです。つま り、習慣的に得られた知識は決してその人の習気であるその人に特殊な偏見から 逃れられないのであり、真に正しい認識を得るためには、「私にとって」という 人為の立場を超えて「存在の普遍的なあり方において」という天為の立場に立つ 必要があるというわけです。 一見対立するように見えるものが、実は相即する ことによって、共に一つの存在の地盤を作っているというのが条理の考え方であ りましたが、梅園は忠実にこの原理を認識にも適用することによって、万人に普 遍妥当する確実な知の基盤、常識のいかなる変動にも惑わされない、物の見方の 基本が得られると主張したと言えるでしょう。実は、カントの場合もこれと同じ ように、認識を単なる経験の集まりによって成り立っていると考える経験主義に 対して、認識の普遍性を主張するためにその哲学を構築したといえます。確か に、彼の場合は、デカルトの「我思う」の立場を踏まえた哲学者であり、その意 味で梅園との単純な比較は危険なのですけれども、二人とも「私だけにとって」 の認識を越えてその根源にある原理を求めたことには変わりがないと思います。

 「うつろいやすさ」という言葉がありますが、世の中はまさにこの言葉の示す ように常に変化を繰り返し、特に今日のソ連の崩壊に見られるように、きのうま での常識が今日には非常識となっていることも少なくありません。終戦直後の日 本もそうでしたし、「国際化」が叫ばれている今日では、自分にとっては非常識 に見える外国人と付き合うことが必要となっているといえるでしょう。それどこ ろか、ひょっとしたら自分の子供さえ理解不能ということも稀ではありません。 いずれにせよ、このような他者とのコミュニケ−ションには今までの常識的なや り方では不十分ということになります。ですから、哲学者は、ここで見たよう に、この違いのうちに潜む共通のもの、普遍的なものを探究してきたわけです。

 しかし、このような哲学者の探究は何のヒントもなしに、ひとりでに頭で考え て出来上がるものでも、ましてや書物をばかりを読んで進められるものでは決し てありません。カントも主張していたようにすべての認識は経験から始まるので あり、経験的事実、この現実世界への深い洞察なしにはいかなる思想も生まれな いでしょう。次に、この観点から、今まで現実世界の多くの謎を解き明かしてき た科学と哲学の関係について見てみます。
 

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