哲学者としての三浦梅園


 その1:常識批判としての哲学
 

 最近日本では、バブル経済の崩壊によってさまざまな問題が現われてきているように思えます。一連 の証券スキャンダルにせよ、過労死の問題にせよ、豊さと繁栄が極限に至ると同時に、その弊害も極ま っているように感じられ、こんな世の中で人間のモラルが乱れてきたと感じるのは当然のことかもしれ ません。もっとまともに考えれば、善いことと悪いこととははっきりしているのだから、このようなス キャンダルが続出するようなことはないはずだ、と考える人も多いのではないでしょうか。しかし、私 はそのように安直には考えません。というのも、少なくとも今世間を騒がしているスキャンダルの多く が、個人的な悪意によって引き起こされているというよりも、その個人の属する会社組織のあり方にあ るように思われるからです。

 ある政党機関紙(実は自由新報)の中に次のような内容のコラムが載っていました。それによると、 証券会社をはじめとした各種金融スキャンダルはまさに常識の欠如によるものであり、ここに現代人の モラルの低下が現われているというような内容でした。ここでこのコラムの話を出したのは、このよう な見解が実は皮肉にも、最近のスキャンダルの遠因となっているように思われたからです。「常識で解 決してくれ」という考えは一見もっともなものであるように思われます。しかし、すでに報道されてい るように、最近の社会問題の多くはこの常識そのものの歪みから生じてきたといってもよいのです。過 剰なノルマと、それ以上に激しい競争社会、これらは明らかに彼らの属する企業社会に歪んだ常識を作 り出したのであり、彼らは結果的に、その常識にあまりに忠実であったために犯罪者になってしまった いうのが本当のところでしょう(日本経済新聞ではこのような立場から特集記事が連載されていました)。 しかし、そのような歪んだ常識が一部ではびこっていたとしても、一般的な日本人として、責任ある社 会人として一般常識というものがあるならば、このような歪みに陥ることはなかったのではないか、こ れこそモラルの欠如を示しているのではないかと考える人もいるでしょう。ここで言われている一般常 識とは良識と呼ばれるべきものではないかと思うのですが、問題はこの良識と呼ばれるべきものが多く の人たちが考えるように一般的であるかということ、そしてそれ自身がより高いレベルの常識として、 普通の常識をより高く広くしたものと考えてよいかということです。いわば常識をそのままより高めれ ば良識に至るかが問題とされるということです。

 常識というのは普通の日常的な判断の積み重ねから生れた習慣的なものということができるでしょう。 とするならば、常識は常識であるかぎり個々人が経験する現実社会によって決定されるということにな ります。先程から話題になっている金融スキャンダルについて言うならば、彼らが企業戦士として24 時間会社とつきあわざるをえなかった環境にあったことを考えると、彼らにより一般的な常識を求める ことは無理ということになるでしょう。なぜなら、彼らにはより一般的な常識を経験的に身に付ける余 裕などはなかったからです。部分的に限られた範囲にあるに過ぎないといっても、一個人が集団的な雰 囲気のなかで良識を維持するのは大変困難なことです。このことは戦時中の日本人を考えても理解でき るでしょう。ただなんとなく多くの人々の行動から習慣的に身に付けられる常識には常識自身を批判す る能力はないのです。

 このような常識的世界にあっては、万物の尺度は人間であり、多くの人間が支持することがそのまま 正しいこととして通用します。それがたとえ限られた狭い世界にしか通用しないようなものであっても、 あの金融スキャンダルにも見られるように、その世界が完結したのものであるならば、個人の行動を決 定するだけの強制力を持っています。しかし、あの金融業界やかつての日本のようにこの常識が歪んで しまったならば、その常識を変更することは出来なくなってしまうでしょう。そして、もしその個人が 単に常識に従う人間ではなく、良識をもった人間であるならば、その人はより深刻な矛盾に苦しむこと になります。なぜなら、そのような人には歪んだ常識によって彼の属する社会が崩れていくことを予見 しつつも、その中にいるかぎりこの歪んだ常識に従うことを強制されるからです。人間が一人で生きて いくことが不可能、もしくは極めて困難である以上、このような個人の良識が社会に反映されないのな らば、これは社会にとっても個人にとっても不幸なことです。

 だいぶん前置きが長くなりましたが、ここにこれから私がお話する哲学の意味があり ます。普通、 確かに社会的組織というものは常識によって日々の営みを行っていますが、それだけでは良識を欠いて いて大変危険です。常識を批判し、そのことを通じて社会をいかに安定させることができるか、これが 哲学について語り始める最初のモチ−フになります。私はこの哲学を、日本では数少ない哲学者と断言 できる三浦梅園の思索のあり方を通じて説き明かしていきたいと思います。
 

 梅園を知る人にとって彼が幼いときから強い懐疑心と探究心を持っていたことは周知のことと思いま す。その主著である玄語の例旨において彼自身が書いているように、梅園は少年時代から見るもの触れ るものがすべて疑問に思えたのであり、このことは哲学者としての梅園の才能を示すよい例のように思 えます。しかし、これがなぜ彼の哲学的才能を示すものなのでしょうか? よく彼はその懐疑心の強さ においてデカルトと比較されたりします。けれども、西洋の哲学者をここで引き合いに出すのは、暗黙 のうちに西洋哲学の評価を前提としているといえなくもありません。あの有名なデカルトの哲学的態度 と通じるものを梅園が持っていると言われるとき、梅園の評価を高める理由としてデカルトの例が引き 合いに出されているわけです。しかし、もしなぜ懐疑というものが哲学において必要不可欠なものであ るのかが理解されないならば、梅園自身の一番嫌った習気によって梅園を評価してしまうことになって しまいます。このような私の危惧は今までの梅園研究の歴史を振り返れば全く当たらないものとは言え ないでしょう。というのも、梅園の偉大さについては多くの人々の意見の一致を見ているにもかかわら ず、その偉大さはデカルトやカント、そしてヘ−ゲル等の西洋の哲学者との比較によってなされてきた ことは確かだからです。たとえ、ここで梅園哲学が弁証法であるか否かを問わないにせよ、これらの西 洋哲学の巨星たちの存在がなかったならば、まず三浦梅園あるいは三浦晋の哲学は日本人の知的好奇心 を呼び起こすことはなかったと私は思います。三浦梅園はなぜ偉大なのか、少なくとも私にとって興味 ある哲学者であるかのということは、まず彼の哲学的思索の最初に起こった懐疑の意味について解き明 かさなくてはなりません。

 私はまずこの文章を綴るに当たって、常識的立場の限界について述べてみました。それはこの哲学者 としての三浦梅園の懐疑の意味について明らかにしたかったからです。彼の書くところによりますと、 自分の懐疑的態度が他人にとってとても煩わしいものであったことがよく分かります。だいたい、「な ぜ火が陽なら熱いのか?」とか「目はどうして聞かず、耳はどうしてみないのか」などとと問われても、 それはそうなっているのだから仕方がないと考えるのが普通でしょう。常識的な日常世界、そんな中で そんな問いを発するなど時間の無駄以外の何ものでもないということになります。しかし、このような 問いは今までの日常的常識世界を問い直すきっかけを与えてくれるものです。もし、このような問いを 全く無用なものと考える人がいるならば、その人にとっては哲学は全くの無用の長物でしょう。けれど も、そのような人はその人生のすべてを常識に委ねることとなり、先に述べた歪んだ常識の犠牲者にな るか、もしくはその犠牲者を生みだす立場に立つことになります。なぜなら、ここで本当に梅園が問う ているのは、単に火がどうかとか目や耳がどうあるかということではなく、この世界全体がいかなるし くみで動いてうるのかという根源的な問題であるからです。

 懐疑というのは本来懐疑自身を目的とするものではありません。わざわざ人を煩わすために問いを発 するのは哲学的であるどころか、単に迷惑なだけな話でしょう。哲学者が敢えて懐疑をするのは、常識 的な世界を問い直すことによって、みずからのあるべき姿を問いただそうとするからです。デカルトの 方法的懐疑という言葉はそのことをよく示してくれています。彼はこの懐疑によって「cogito ergo sum 我思う故に我あり」という有名な言葉に至るわけですが、ここを起点として西洋近代の哲学が始 まったといっても過言ではありません。つまり、疑うという行為によって初めて今までの哲学的立場を 乗り越え、新しい思想の基盤ができたと言うわけです。ですから、懐疑と言う知的営みは、まずそれま での常識的世界の限界をはっきりさせ、次にその常識を超えたところに新たな思想の地盤を作り上げる きっかけとなるものであると考えてよいでしょう。

 このように、梅園の問いは哲学的なものであり、世界の根源に対するものであるのは、 常識世界全 体を越え、これを新たな立場から反省するものであるからだと私は考えます が、それは次のような梅 園の記述に端的に表われています。

我よりして是を観れば、其雷自身をあやしむこそあやしけれ。故いかんとなれば、其人地動くを怪しみ て、地の動かざる故を求めず、雷鳴る所を疑いて、鳴らざる所をたづねず、 これ空々の見ならずや。 (『多賀墨郷君に与ふる書』 岩波文庫「三浦梅園集」p12-13)

たいてい我々は日常世界にあるものは当然のこととして、これに対して疑いの心を持ちません。ところ が、よく言われることですが、犬が人間にかみついてもニュ−スにはならないけれども、逆に人間が犬 にかみつけばニュ−スになります。また、テレビなどで超能力とか超常現象など不思議なことが話題に なります。これらのことが話題になるのは、それが常識的、日常的な出来事でないからです。しかし、 これらの出来事はその世界そのものを反省させるものではありません。哲学的懐疑が根源的であるのは、 その疑いの眼がこれらの超能力や超常現象のように普通でないもの、奇異なものに向けられているから ではなくて、むしろあたりまえのこと、空気のように身近でたいてい意識されないものに向けられてい るからです。梅園はこのような常識的世界にとどまっている立場を習気の立場として、これに否定的な 態度をとります。習気の立場とは、日常的習慣にみずからの判断を委ねる立場であり、根源的のものを 見出そうとする学問的態度に反する立場であると梅園は見るわけです。

 しかし、このような梅園の学問的態度は当時の学者のそれとはおよそ異なったものであると言うこと ができます。なぜならば、彼らにとって学問とは「忠」「孝」とかの人間関係の規範となる徳目を明ら かにするものであって、それ故に、日常的で常識的な人間関係を探究することを目的としても、それ全 体を批判的に考察することなど思いもよらないことだったからです。つまり、江戸時代の学者、一般的 には儒者ということになるでしょうけれども、彼らにとって学問の営みは常識的な徳目をそのまま常識 的に深めるものであって、決してその常識の外に出ることはなかったということです。日本人にとって 何が善で何が悪かということは社会的な常識によって常に疑いなく決められているのであり、問題は、 その常識の命じる事柄をいかに忠実に、いわば「誠実に」遂行するかにあったように思えます。でなけ れば、神の意志や自然の摂理などの超人間的な権威なしに、「忠」や「孝」などの社会的義務を人々に 強いることなど出来なかったでしょう。これはベネディクトの「菊と刀」などにも示唆されていること なのですが、日本人にとって学問が明らかにすることは「何を為すべきか」というよりも、社会的常識 の命じるところを「いかにうまく遂行すればよいか」ということであり、「誠実」が最大の徳目として 掲げられるのも、それの中に「何が善か」という内容がゼロであり、とにかく徳目の遂行に決定的な役 割を果すからだというわけです。従って、梅園以外の当時の学者は、常識的立場をそのまま貫けば学問 が成立すると考えていたわけであり、まさに梅園の言う習気の域から抜けだせなかったと言えるでしょ う。

 この点、梅園の学問的態度はむしろ宗教家のそれに近いように思われます。曹洞宗の開祖である道元 はその著「正法眼蔵」の中で大神通と小神通とを比較して、普通は神通というと空を飛んだり、見えな いはずのものを透視するような超能力を人々は思い浮べるけれども、これは神通といっても小神通にす ぎず、日常茶飯の振る舞い、またそのように振る舞っている自分そのものが大神通の現われであると書 いています。つまり、どんなに非日常的な出来事を起こしてみても、現に日々生活している日常そのも のの事実に比べれば、それはあくまで例外的なこと、むしろささいなことに過ぎないというわけです。 近頃はやりの超能力について言えば、透視能力にせよ、予知能力にせよそれらに対してなぜそのような 能力が可能であるかと問うことはができます。しかし、この世の中そのものが何故このような現実とし てあるのか、何故その中で私たちが生きていくことができるのかという ことを問うたとしてもそこに は答えはありません。というのも、たとえ超能力であって も 、それが現実世界の一部分の出来事に過 ぎない以上、存在するものどうしの因果関係 によって説明し得るのに対し、世界そのもの、現実自身 についてはこのような因果関係そのものを越えているために人の言葉では説明が不可能であり、 敢えてそれを問おうとすれば、因果関係によって何故このような因果関係があるのかと問うことになり、 自己矛盾に陥ってしまうからです。
 


 仏教ではこの存在者どうしの関係を問う知識を分別知と呼び、一方、存在そのものに関心を向ける 知恵を無分別なものとして両者をきっぱり区別していますが、梅園もその哲学の始まりにおいて、世 界そのもの、存在自体を語りえぬ一元気として提示しています。玄語図の一番最初に来る「一不上図」 はまさに空白を以ってこのことを表現していると言えるでしょう。仏教文化の盛んな国東半島に生れ た彼のことですから、このように彼の哲学の中に仏教の影響があったとしてもそれは自然なことかも 知れません。しかし、その一方で、彼は宗教に関してはほとんど積極的な関心を示していないのも確 かです。最近、偏阿上人と梅園との交友関係を通して、彼の哲学における仏教の影響が話題にされる ことも多くなりましたが、それまではむしろ従来の朱子学や老壮思想の関わりから論じられるのが普 通でした。私はこれは宗教家と哲学者との立場の違いを梅園が自覚していたからだと考えます。確か に、哲学者も宗教家も常識を超えた存在の根本に対する問題意識から出発しますが、そこから先は異 なった歩みをしてきます。そこで、次では、宗教家との立場の違いを通して梅園の哲学的態度につい て述べてみることにしましょう。
 

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