独在論の誘惑22:国家という名の人工環境
近代において国家ほど人々のイデオロギッシュな思い入れを背負ってきたものはないでしょう。国家の概念は「民族自決」の原則と共に民族の概念と時折混同
されることがありますが、現実にはそうではありません。アメリカ合衆国の例が示すとおり、他民族国家の方が普通なのであり、日本のように民族のまとまりか
ら自然に形成されたものであるにせよ、それはあくまで法律によって規定された人工物であるのです。にもかかわらず、国家は現代に至るまで、人間が造った最
強の社会組織と見ることが出来るでしょう。多国籍企業の中には国家を凌ほどの影響力を持つものもありますが、それらは本質的に利潤追求を目的とする経済主
体なのであって、国家ほど人間の思い入れを受け入れているわけではありません(これらはむしろ国家を通じて自己の意図を反映させようとする社会的集団と見
ることもできるでしょう)。しかし、ここに国家を論じる時の難しさがあります。人工的な構築物、つまりはゲゼルシャフトであるにもかかわらず、国家は民族
や宗教などの人間が自然に育んできたゲマインシャフトとしての伝統に依拠する場合が多くあります。また、アメリカ合衆国のような新しい多民族国家では、
「自由」などの自らの理念を高く掲げることによって、伝統に変わる精神的支柱を国民に植え付けようとします。人工物として、法的に見れば
[国土・国民・主権]
の3つを条件として成立する社会的主体ですが、その一方で、その国に生きる「国民」に対しては、自らが最も基本的な社会的環境であることを誇示している、
いわば文化的な存在であるとも言えます。
この国家は個々の人々に近代的に運営された社会としてのさまざまな恩恵をもたらしてきましたが、その一方で、個人を抑圧してきたことも確かです。特に、
近代国家は常に他の国家との緊張関係におかれてきました。「パトレイバー2」の中で荒川は“国家に真の友情はない”と語りましたが、ある国の国家主義者が
他の国の国家主義者と、国家主義者であるが故に友好的な関係に立つことはあまり考えられません。このことは首相の靖国参拝を支持する日本人が、その故に中
国人の反日的な行為にいらだつ様子(もちろん、その逆もそうです)を見ればよく分かります。イスラーム教などの世界宗教では、共に同じ宗教を信じることが
友好的な関係を築くきっかけになるのに対し、自国を礼賛する人たちは他国を蔑む傾向が往々にしてあります。実際、国家間の関係はゼロサムゲームのようなも
のであり、ある国が強くなると、相対的に他の国の立場が弱くなる関係があります。単純に自国の伝統を愛する健全国民であれば、逆にそのことが他国の理解に
もつながるのに、国家という政治的な色合いが出ると、互いに対立する雰囲気が生まれるのはなぜでしょうか。
国家は政治的な観点から考察されるのが普通ですが、その成り立ちを経済的な視点で見てみると面白いことが分かってきます。内山節さんは「貨幣の思想史」
という本の中で17世紀のイギリスの経済思想家であるウィリアム・ペティの『政治算術』について論じながら、次のように書いています。
「 ペティのの革命性は、非市場経済的な人間たちの営みを、政治経済学の対象から切り離したことにあったといってもよい。彼はなぜそうしなければならな
かったのか。それは、いうまでもなく、彼の課題が国家を強化するための政治経済学の確立、戦争を遂行するための国家の経済基盤の確立にあったからである。
この視点からとらえたとき、国の経済力とは、第一に貨幣的価値の生産力であり、第二に貨幣的価値の蓄積量にならざるをえなかった。(17-18p)」
現在、人間が生きるためにはまずお金(貨幣)が必要です。けれども、ペティの時代には、まだ自給自足の社会が色濃く残っていて、お金による市場経済は今の
ように普通のものではありませんでした。村落社会の中で物々交換をしていれば、それなりに必要なものは手に入れられたわけです。ところが、国家を運営する
ためには、どうしてもお金が必要になります。宮殿を建てるにしても、軍備を整えるにしても、そしてそのために人を雇うためには金銀財宝やお金などの時が
経っても“腐ることがない”価値を持つものが必要です。農産物は、村の人たちが物々交換をするにはよいのですが、国家を運営するにはすぐに傷んでしまいま
すし、他の商品にしても、必要以上にあっては意味をなしません。金銀財宝、そして何よりもお金のような何にでも交換できる、そして時が経っても傷まない財
こそが国家経営に不可欠だったのです。
当時のヨーロッパでは、新しく成立しつつあった国家の間に常に緊張関係が存在していました。たとえ戦争をしなくても、他国よりも強い軍事力を保つ必要が
あったのです。そのような時代背景の中で、国富は貨幣によって計るべきものであり、それぞれの国はこの国富増大のために奔走するようになります。その一
方、個々の人間に本当に必要なものは徐々に顧みられなくなります。具体的な誰かにとっての必要、つまりは「使用価値」よりも、お金によって計られる価値が
優先されるようになり始めたのがペティの時代です。そのような時の流れに対して、実際に生きている人間にとって必要なものが奪われていることを批判したの
が重農主義の経済学者たちです。いくら商品があったとしても必要以上にあっては意味がない、貨幣を尊ぶ人がいるが、貨幣そのものには価値がないのだから、
それぞれの人に必要な分だけ必要なものが行き渡るような社会をつくりだすことがまず必要だというのが、彼らの主張でした。ペティは重商主義者と呼ばれます
が、彼らが人工的な構築物である国家の運営のためにお金の必要性を説いたのに対し、重農主義者と呼ばれる人たちは、自然の一部として生き、それ自身自然で
ある人間の立場を考え直そうとしたわけです。重農主義者としてはケネーが有名ですが、ボアギュベール(1646-1714)も同じような立場から貨幣と富
の
本質について論じています(「梅園学会報 第29号」ボアギュベール「富、貨幣、租税の本質についての論究」参照)。
しかし、重農主義者たちの努力もむなしく、時代はますます貨幣を欲するようになってしまいました。その原因として、産業革命によって生産力が飛躍的に向
上したことが掲げられるでしょうが、その根底には国家間の対立、そして資本主義における経済競争があったことは否めないと思います。そのなかで、国家は伝
統的な「国」の文化的背景を利用しつつ、他者である他国に対する恐怖心から自らを成長させたと言えるでしょう。このことは日本の明治維新に典型的に見て取
れると思います。
幕末の日本は、米本位制による幕藩体制が経済的に行き詰まる一方、西洋列強の脅威にさらされていました。新たに成立した明治政府は、米本位制を廃止し、
貨幣経済を導入する一方、天皇を中心に「国家」という概念を国民に浸透させようとします。幸いなことに、日本は島国であり、地域による言語の差異もさほど
ではありませんでした。それ故、国家としてまとまりやすい状況にあったといえます。しかし、国民国家という意識を人々に浸透させるためには、さまざまな
フィクションが必要でした。旧来の神仏習合の伝統が廃仏毀釈によって否定される一方、天皇が日本人の意識の中核としてクローズアップされます。これらの
フィクションは、国民教育の普及やたび重なる対外戦争の勝利によって、日本人のなかに根付いていきます。
ここで問題になるのが、これらのフィクションがある意味で日本の伝統とのつながりを少なくとも装いつつ、国民の団結を深めてきた一方、常に他者との比較
の上で自国を肯定する傾向を助長してきたことです。そのことを端的に示しているのが、今日問題となっている靖国神社の問題です。もし近隣諸国がこの問題に
無関心であれば、どれだけの日本人が靖国を意識したでしょうか。戦争体験者ならともかく、若い人たちの多くがナショナリズムの象徴としてこの問題に関心を
寄せるのは、近隣諸国が首相の靖国参拝に反対しているからではないでしょうか。
国家とは常に敵対する他者を想定することで自らを維持してきた人工物です。しかしながら、多くの人は国家と昔からの国や民族との違いを理解していませ
ん。そもそも国にしても、民族にしても、人間の言葉で単純に割り切れるほど簡単なものではないのです。昔から国はあっても、その中にはいろんな人たちが居
るのであり、歴史的に多くの人々が行き来してきたことでしょう。民族にしても、混血は当然起きているわけで、○○民族といっても、現時点における混血と融
合の結果にすぎません。にもかかわらず、近代において「国家」に自らのアイデンティティを求める人々が絶えないのは、国家の中に自らのルーツを見いだした
と感じ、それを自らの生きる環境だと考える人が多いからでしょう。しかし、それは自己の独在論的イメージを「国家」という言葉に投影させているにすぎませ
ん。近代において国家が不可欠のものであるにせよ、国家を偶像化する「我々の
独在論」は常に他者の否定の上に成り立っているのであり、その他者の否定の上に成り立つ架空の「我々」の他者に対する優越により、自らの独在論的世界を自
らに意識されない形で維持しようとするものです。
次回は、この国家の偶像化による「我々の独在論」を独断論として、新たな側面から考えていくこととします。