【第97便】
12月22日(木)、冬至の朝は寒さも厳しくなってきました。
朝のお祈りを終えて、6時半にモスクを出発しました。
参加者は、アキールさん、ムスタファさん、運転は、ムシ・アフマドさん、それと池本の二人です。
支援場所 いわき市 いわき中央台高久第四地区の仮設住宅に住む広野町の楽々クラブの方
隣接する生活介護支援所 工房アライブ
私にとっては、7月以来5ヶ月ぶりのいわきでした。
途中の交通量も増えているなーと思いました。年末のせいもあるのでしょうが、トラックなどが多く走っていました。
常磐道は、すっかり道路の補修も終わっていて、車窓から見える家々の屋根にもブルーシートはなくなっていました。いわき勿来でおりていわき市内に入ると、所々まだブルーシートで覆われた屋根瓦がありました。道路も工事中の箇所が何箇所もあり、橋などにはまだまだでこぼこしている所もありました。
9時にいわきモスクに到着。カレーを大鍋にうつして温め、寸胴鍋と大鍋の2つのお鍋、ご飯はコンテナ2箱で、100人分のカレーが用意できました。カレーは昨夜モスクでムスタファさんが作ってくれたものです。広島県呉市の金子農園から「いわきに届けてください!」と送って下さった甘いみかん3箱とウーロン茶が今回の支援物資です。
10時にいわきモスクを出発しました。
途中、行く場所を電話で確認しながら中央台ニュータウンに到着。高台にあるニュータウンには、きれいに分譲地が整備されていて大きな立派な住宅が並んでいます。その中にプレハブの仮設住宅が並んでいます。新しくできた医療機関や仮設で作った郵便局もあります。学校も大きな立派な建物です。今は学校や住宅にも地震の被害を見ることができませんが、地震直後はどうだったのでしょうか。
集会所まで案内してくださる長谷川さんと合流しました。長谷川さんは、障害者支援施設工房アライブも案内してくれました。庭には、キャベツやブロッコリーなどの野菜が家庭菜園のようにできていました。これからは畑仕事ができるように畑も増やしていくそうです。
集会所では、広野町の楽々クラブ主催で、楢葉町の方と交流してのグランド
ゴルフ大会が終わり忘年会が開催されていて、約60名の方が集まっていました。世話役の方からイスラーム文化センター会長としてアキールさんが紹介されました。世話役の方々とも前回もお会いしているのでアキールさんも親しく話していました。
アキールさんからは、「今までは、イスラームというとテロと思われていたようですが、皆さんにそうではないことを分かっていただいてうれしいです。みな人間は同じです。助け合っていくことは当たり前です。兄弟姉妹です。」と皆さんに伝えられました。皆さんからお礼をいただいてアキールさんも驚いていました。(これは集会所のストーブをお渡しして活用していただく予定です)。イスラームの習慣、日本の習慣もそれぞれあって慣れないことも多くありますね。
モスクからの参加者の自己紹介の後、早速楽しみに待っていただいていたカレーを配りました。「ご飯は少なめ、カレーをたくさん下さいね!」と何回もいわれました。広島県呉市の金子農園から送っていただいたみかんのご紹介もさせていただきました。
金子さんからは、みかんの箱の中に皆さんへのお手紙が同封されていました。2箱は、集会所でみなさんのお土産にと世話役の方々が袋詰めをして下さいました。
食後、希望する方にマッサージをさせていただきました。希望者の方がどんどん増えるので、「一人5分ですよ!」と言われ、15名で打ち止めとなりました。「狭い部屋でじっとしているから肩がこるのよ!」と話してくださった方もいるほどで、皆さん肩こりが多かったです。世話役の方は、部屋の中でぶつけて頭と目を怪我したと言って、目には眼帯をし、頭には包帯を巻いていました。生活の大変さを垣間見ることができました。時間がなくなったのとその後もグランドゴルフの表彰式などいくつものプログラムがあるので、再会の約束をしてお別れしました。
私がマッサージをしている間、他のメンバーは、工房アライブに食事を届けにいきました。みかん1箱とカレーを召し上がっていただきました。残ったカレーもお鍋にうつしてお渡ししました。
その後、湯本二中まで行きました。湯本は前回宿泊した温泉ですので懐かしい街並みでした。
湯本二中は、山の上にあり広野町の中学校も今は、ここで開校しています。私が「この坂をどうやって登って登校しているのでしょう」と心配すると、アキールさんは、「私たちが登校するんじゃなくて若い中学生だから何も心配ないよ」と言いました。まわりには何もなくて見晴らしもよく、春には桜がきれいだろうなーと思うすばらしい環境です。
湯本二中の校長先生とは、3月以来のつながりです。モスクの支援先についてアドバイスをいただき、布団などの支援ができました。校長先生からは、いわきの現状をお話していただきました。
私が驚いたのは、中学校の校長室にムスリムの方々と私たちが訪問して話していることと、次から次に支援活動の電話がかかってきていることです。私の子どもたちが通っていた中学校では、学校関係者以外を受け入れる体質がなく、戸惑うことが多かったことが思い起こされました。
廊下でお会いする先生方もアキールさんやいわきモスクのラジャさんと親しく話しているのもうれしいことでした。
東にあるいわきは、6分日没が早いそうです。それじゃもうすぐだからモスクでお祈りしてから帰ろうということになりモスクへ。お祈りが終わるとちょうど5時でした。日も沈んですっかり暗くなってきたモスクを出発していわき勿来から常磐道、途中で休んで三郷には7時前に到着しました。その後渋滞が続いているので、常磐道を降りて、鳩ヶ谷、赤羽、王子を経由して8時半にはモスクに帰りつきました。
次回の支援は新しい年になります。
|