إِنَّا لِلّهِ وَإِنَّـا إِلَيْهِ رَاجِعونَ
 インナー・リッラーヒ・インナー・イライヒ・ラージウーン
<<本当にわたしたちは、アッラーのもの。かれの御許にわたしたちは帰ります。>>2-156

 この言葉は、友人の家族などに不幸があったときに、まわり人がかける言葉で、日本で「このたびは、ご愁傷様でございます。」と不幸があった人にねぎらいの気持ちを伝えるのと同じ場面で使いますが、その意味には違いがあるのでしょうか?
 さて、このアーヤは第2章156に次のように出てきます
<<われは、恐れや飢え、と共に財産や生命、(あなたがたの労苦の)果実の損失で、必ずあなたがたを試みる。だが耐え忍ぶ者には吉報を伝えなさい。2-156.災難に遭うと、「本当にわたしたちは、アッラーのもの。かれの御許にわたしたちは帰ります。」と言う者、2-157.このような者の上にこそ主からの祝福と御恵みは下り、またかれらは、正しく導かれる。>>
 人は災難が降りかかった時、不幸が訪れた時、悲しみ、絶望の淵に立たされることになるでしょう。しかし、これはアッラーからの試みなのであって、いつかはそういう悲しみに出会うことになるかもしれないと言い聞かせています。そういう中で耐え忍ぶ者には吉報があると述べられています。
 「本当にわたしたちはアッラーのものであって、彼の御許に私たちは帰るのです。」すべてのものはアッラーの所有物であって、アッラーが定めたことはどうしようもできないのです。そして、すべてはアッラーのもとに帰るのですと、こういう時にこそしっかりと心に言い聞かせることで、悲しみも和らげ、同時に励ましにもなるものです。そして、同時にアッラーへの信仰強化にもつながります。
 続くアーヤに、「このような者の上にこそ、主からの祝福とお恵みは下り、また、かれらは正しく導かれる。」とあります。