東京ジャーミイ (Tokyo Jamii)
宗教法人 東京・トルコ・ディヤーナト・ジャーミイ
住所・電話番号
 〒151-0065 東京都渋谷区大山町1-16
 電話 03-5790-0760 
見学について
 見学時間:午前10時~午後6時
 入場料:無料。
   (ただし、礼拝堂入口に募金箱があります。)

御来訪・見学の皆様へ
礼拝場は尊重すべき大切な場所であります。
御来訪・見学にあたりましては下記の注意事項をお守り下さい。

•礼拝場に入る前に靴をお脱ぎ下さい。靴を玄関通過後、左右にある下駄箱にお入れ下さい。
•女性の方は礼拝場内では髪の毛をスカーフでカバーして下さい。
•礼拝場内ではお静かに願います。
•礼拝場内におけるあらゆる目的での写真やビデオ撮影には、事前の許可が必要です。一階の事務局にお問い合わせ下さい。礼拝が行われる際の写真撮影は禁止です。
•礼拝中は礼拝場内を歩きまわらないで下さい。
•5名以上の団体見学の場合、事前に一階の事務局までご連絡下さい。

御理解・御協力に感謝いたします。

『東京回教礼拝堂』
 1917年共産主義革命で帝政ロシアが滅び、タタール人の一部は共産党政権の支配を逃れ、亡命者や難民となった。彼らの一部は、シベリア鉄道沿いに東へ逃げ、ハルビンに辿り着いた。さらにその中の一部は、日本へ渡った。1921年頃であった。
 日本に移り住んだタタール人難民は、約600人。そのうちの半数が東京に居住した。彼らのリーダーだったのはムハンマド アブドル・ハイイ クルバンガリーだ。ただ彼はバシキール出身のタタール人で、シベリアで日本の軍部に接触し政治亡命し来日したのだった。
 クルバンガリーは、1925年1月イスラム団体『東京回教団(Mahall Islami)』を結成し(正式には1930年7月22日東京市に届け出)、1930年学校『回教学校(maktab islami)』代々木八幡町富ヶ谷161)を作り、その敷地内に印刷所(Matbaa Islami)を作った。そして、1931年4月タタール語で新聞『ヤニ・ヤポン・ムフビリー』を創刊した。さらに奔走してマスジド建設に尽力した。
 『東京回教礼拝堂』が竣工したのは、1938年5月12日のことだった。
左の写真は東京回教礼拝堂で、老朽化により1984年閉鎖され、1986年解体された。
 
 
  『建築雑誌』(第52集、第642号)より
 
 islamic culture Forum 5
1974年イードル・アドハの礼拝、東京回教礼拝堂
 
  islamic culture Forum 5 p21
 
 
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