スリランカからの現地リポート
2004/12/28
 今回主人が(アナスさん)が援助活動をしようとしているところは国際援助や政府の援助がまったく届いていない地域のようです。
 子供の犠牲者が多いのがとっても痛ましい状況です。
 海抜の低いところでは湖ができてしまい腐敗した遺体をはじめ異臭が漂っている状況のようです。
 またそのできた海水の湖のおかげでその地域が頼っていた飲料水の井戸はまったく機能を果たしていないために水の確保自体も見通しがつかないとの事です。
 被害の規模の大きい東側へ主人(アナスさん)のいる地域から約300キロそれぞれが各自のバンやバスに物資を積み込んで奔走し始めているようです。物資自体の確保も難しいようです。
スリランカから送られてきた写真12/28
 送られて来た写真は、プロが撮影したわけではないので、被害の大きかった地区を選んで撮っているわけではない。また、何パーセントの人が犠牲になったのかはわからない。アナスさんの話によれば、彼の実家は津波被害はなかったものの、島の南部、東部の海岸が壊滅的な被害を受けたそうである。そのあたりは多数のムスリムが生活している地域でもある。行き場を失った子供たち、家も子供も失った家族、村全体が津波にさらわれ消滅した地区など。。。
そして、被災者は次々に内陸に避難を始めていた。アナスさんは、その救援に動き始めたのである。
2004/12/29
 今、支援をしているところはヤーラ国立公園からさらに北に上がった地域のアバーレ、ラティケロと言う村だそうです。

 漁業の村でやしの葉で作った家に住み貧困地域だったようですが、村自体がなくなってしまうほどひどい被害に見舞われているようです。この地域にはだま十分な支援が届いておらず、コロンボ、ゴール、ヤーラという海岸線が壊滅状態なためルートとしては内陸の山間部を抜けなければたどり着けないという厳しい状況にあるようです。

 活動しているボランティアは普通の民間人のため自分たちで車を用意し、必要なものを自分たちで考えて持っていくということなので組織化もされておらず十分に行き届かないのが現状のようです。

 漁業を営んでいたと言うこともありその日漁に行った方達は戻っていないようです。
そして津波・・・・

 現在の支援情況は水と食料。しかしすぐに住む家の建設瓦礫の片付けなどになってくるとの事です。

 もしもNPOをはじめ日本から支援を考えている方で東側のルートとして主人の住んでいるところの近くを拠点または通過される方に関しては現地での車両の手配、日本語の話せる現地の人も対応できるようです。
スリランカから送られてきた写真 2005/1/3
 水は引いたが、生活の場・食料に困っている。先の写真に比べて、少し安心できるものが多い。ここまでですでにアナスさんが支援活動の物資購入で使ったお金は50万円を超えている。日本の仲間からの支援がほしいところである。遅くなった感だが、予定通り1月7日送金をした。