シンガポール旅行2001
2001年10月14日〜17日
 
 シンガポールは、私ガ最初に外国旅行をした場所。ここでイスラムに出会い、入信後(入信はマレーシアのMasjid Negara)ここの子供たちと一緒にイスラムを学んだ経験があります。いわば生まれ故郷のような町です。そして今回の訪問はなんと20年ぶりのことです。懐かしさと同時に、この町の変貌ぶりに驚きました。町並みもそうですが、一緒に勉強した子供たちがもう中年紳士になっていたことです。
到着後、ホテル一階のトルコ料理店で。afiyah さんとコメン家の人たちと共に。 多民族国家シンガポールは、イスラムに入信する数も多くこのコンバーツ協会では平均1.8人/日の割合で入信があるそうです。入信した人には協会から、コーラン、礼拝の絨毯、帽子、礼拝着、それらを入れるバック(上の写真)がプレゼントされます。
10月15日夜、協会ホールで、「日本のイスラムの歴史」についてスピーチした後、ロビーで懇親会。 懇親会。ご主人がシンガポール人というカップルが多い。
懇親会。Afiyahさんが一生懸命に準備してくれました。ありがとう。次の日10月16日は、会議室で質疑応答形式で。 スルタンモスク北側から
スルタンモスク南側から スルタンモスクミフラーブ。
スルタンモスク内部。管理人あぶは、入信当時ここでみようみまねで礼拝していた時代があったのです。 2階の女性礼拝スペース
スルタンモスクを見学する地元の小学生 私がイスラムに出会うきっかけとなったコメン家の人たち。一緒にコーランの勉強をしていた小学生は、私の左右に座っている紳士たち。
昨年新居浜で開催された国際親善サッカー大会に参加し優勝したシンガポールチームのスタッフと。ブンレイ小学校会議室にて。左からスラトマン教育省サッカー担当、シャリフ監督、コー団長、私。 その時の団長だったブンレイ小学校校長とホールまえで

スルタンモスクについて
Sultan Mosque
3, Muscat Street, Singapore 198833,
Tel: 293 4405 Fax: 293 2463

★スルタンモスクの歴史(パンフレットより)
■1824年: マタセック(旧シンガポール)の統治者であったフセイン・シャー国王は、モスクを建築する提案をしました。そのことを知った東インド会社のサー・スタンフォード・ラッフルズがスルタンモスクの建築に3,000ドルの援助を約束しました。レンガ造りのモスクは2年後に完成し、当時のムスリムが礼拝するのに十分な広さでした。
■1979年:フセイン・シャー国王の孫であるアラジン・シャー国王は、モスクの管理権を理事会に委ねました。その理事会は5人のイスラームの指導者を含んでいました。
■1914年:スルタンモスクの土地の借用契約は、英国海峡植民地政府によって、あと999年延期されました。新しい理事会は12人のメンバーで構成されました。
■1924年:理事会は新しいビルディングを同じ敷地内に建てることを提案しました。新しいモスクは4年後に完成し、200,000ドルの費用がかかりました。その浩二中、今までのモスクは閉鎖されず、礼拝のバとして利用されていました。独特の建築様式の新しいモスクは、今日もなおシンガポールのムスリムの誇りとなっています。
■(1972年:あぶ入信しスルタンモスクで礼拝する日々を過ごす)
■1975年:スルタンモスクは文化保存局の援助のもとに歴史的な建物として保存されることになりました。
■1984年:前ゴー・チョクトン首相はカンポングラム(スルタンモスクを含む周辺地域)の視察の際、モスクの増築計画を提案しました。
■1987年:シンガポール政府はモスクの増築計画の申請を承認しました。それは1,184uの3階建ての建物で、モスクに隣接する別館でした。また政府は、スルタンモスクだけでなく、カンポングラムを文化遺産として管理保存することを決定しました。

別館:
・講堂および同時通訳室
 2階建ての講堂は、一階に308席、2階に117席の合計425名収容可能な大会議場です。3ヶ国語まで同時通訳が可能な設備を備えているため、様々な会議や講演会に利用されています。
・多目的ホール
 1階にあるjこのホールは、レセプション、話合い、会議などの活動や、礼拝、断食明けの祭り、犠牲祭などの行事に利用されています。
 他に教室、大小会議室を備えています。