2018.12.17-21 マスジド観光会議
”International Conference on Masjide Tourism 2018"
  17th-21st of December 2018,
  in Kuala Lumpur Malaysia
  organized by: Islamic Outreach ABIM center
  in collaboration with Masjid Tuanku Mizan Zainal Abidin, Putra Jaya, Malaysia
マスジド観光会議は2018年12月17日〜21日Bangi市のILIMで開催されました。

予定表PDF
12月17日は会議はない。参加者が午前から次々と空港に到着するのが、この日である。先に着いたものは、プトラジャヤの観光スポットを、バスツアーすることになっている。最初いったのは、世界2番目の出荷量を誇るクルアーン印刷所。
国内からもひっきりなしに観光客がおとずれる
クルアーン印刷所の玄関にある太鼓。
これはマレーシアの古いマスジドにはどこにでも置いているもので、礼拝時間になれば、太鼓をたたいてり、もう一つの木魚のようなものをたたいたりして、礼拝時間を知らせる。私が留学していた1970年代にはまだ留学先の学校の隣にあったマスジドで使われていた。最近はつかっているマスジドがあるかどうか、不明である。
エントランスホール 手書きのクルアーン
これは、展示場内に置かれてた長椅子椅。木でできたアラベスク模様。すごい作品だと思う。 タイル
クルアーン印刷所 こんな感じで仕上がっていく。ドイツ製、日本製の機械が多いそうだ。
ピンクモスク訪問 ピンクモスク全景
マスジドの案内をするボランティア案内人。ここにはUKMの大学院に留学中のA氏もボランティアで日本語案内人をやっている。 プトラジャヤのもう一つのモスク アイアンモスク。
24000人収容できるマレーシア最大級のマスジド
とにかく広すぎて、階段ではなくエスカレーター。 工事中でミフラーブまで見通せないが、ミフラーブ側
ミフラーブに向かう通路をミフラーブ側から撮影 このマスジドの特徴は、壁がないこと
あいさつ スピーチするマスジド観光活動に貢献したノルマ女史。
マスジド観光の中心的人物 バハレーンのYusuf Ali氏。
KL,東京、KLと3回目あったので、Yusuf氏も顔を覚えてくれて、兄弟のような扱いだ。
会場の雰囲気
Abu Mahdyをさがせ。 ブルーモスク
12月19日午後、 ヌグリ・スンビラン州の職員とミーティングを行った。私は愛媛県の職員ではないが、愛媛とヌグリ・スンビランとの協力関係構築の意向を愛媛の担当者に伝えるということになった。 ヌグリ・スンビラン州産品の説明も受け、また、ヌグリ・スンビラン州ができること、愛媛から学びたいことなども聞いた。
 
 会議は進んでいる 12月19日のマグリブはKLのマスジド・ジャメに行く予定だ。
マスジド・ジャメの歴史などの説明があった KL在住のアラビア語協会のマハムード師が会いに来てくれ、ここでも今後の打ち合わせを行った。
クアラルンプルとは『泥の河口』という意味、それはこのスポットだった。今では噴水が上がっている。 参加国の中から7人、講演をすることになった。
日本のマスジドというテーマで約20分話した
40名の各国代表とマレーシアの団体代表で声明文の作成。全員発言することになり、私は、自分のスピーチ内容から再度取り上げ、観光客の訪問に非寛容、日本人へのダアワ活動に対して消極的な立場をとるマスジドがあることへの遺憾を述べた。 閉会式
閉会のあいさつ 日本人参加者4名分の終了証をいただく
日本人ムスリム留学生ムスタファ君が部屋を提供してもらっている教授の家を訪問した。
著名なイスラム学者と著名なマレー文学者の夫婦だ。
ご主人は今会議の主催者側のトップとして活躍されていた。
会議が終わり国際イスラム大学に行ってみた 敷地が広すぎて目的の寮までなかなか辿り着かない
国際イスラム大学のマスジド。ジュムアの礼拝はここで行った。第1フトバをアラビア語で、第2フトバに同じ内容を英語で説明する変わった形式で、最後はドアーを入れて締めた。 マレーシアの駅には、礼拝室がある。次々と入室して、礼拝をささげ去っていく。便利だ。
セントラルマーケット2階のフードコート。レトロな造りとのんびり回る扇風機が味を出す。メニューも昔ながらのもので、アイスカチャンをいただいた。 マスジド ヌガラ。
今回は駅から撮影しただけ。パサルスニ駅からマスジドに行く通路が次々出来上がり、マスジドに行きやすくなっていっている。

昔は、この駅の位置にバスターミナルがあって、留学先のSabak Bernamから上京するといつもここに到着した。マスジドヌガラまでの道、クラン川を渡るのだが、渡る度にそれまでの反省と新たな決意をしていた時代があった。クラン川とマスジドヌガラは私にとっては特別な場所なのだ。