イスラム会議
リビア国トリポリ市
2004年11月26日〜29日
2004年11月24日 新居浜−ロンドン
名古屋市上空 富士山と富士市

 ロンドンのヒースロー空港に着いたのは午後5時頃であった。予定していなかったノール一家が迎えに来てくれていた。それで急遽ノール家を訪ねることとなった。
 ノール一家が住んでいるのは、ロンドン郊外のハロー地区の閑静な住宅街である。イシャーの礼拝は、家から1キロほどのスリランカ文化センターに行ってみた。スリランカ系を中心に、アラブ系、インドパキスタン系など50名以上のムスリムが子供連れで礼拝に集まっていた。この国も、外国系ムスリムたちが社会を作り、いいムスリム環境を作り出しているようだ。日本とは違いは、その数は地域に社会を作れるほど多く、すでに市民権を取ってこの地に根付いているものの比率も高く、地域によればハラールレストランが軒を連ねているほどの存在感である。ノール氏については、ネイティブの英国人である父が独身時代1966年シンガポール赴任中に入信ており、結婚後ノール氏が生まれ、彼自身は英国人ボーンムスリムということになる。その後、彼は日本人ムスリマと結婚しているが、兄弟姉妹たちもアフリカ人、アラブ人など様々な人種と結婚し、一家は国際色豊かである。日本では日本人ムスリムの活躍に期待されるが、ここ英国におけいてもノール氏を含めたネイティブの英国人の活躍に期待したい。
 しかし、不思議に思うのは、彼の父の時代はあまりムスリムが居なかたはずである。どのようにして、ノール氏と兄弟姉妹を教育し、一人前のムスリムに育てていったのかである。私も彼の父と同じ立場だが、私の子供たちの誰一人としてノール氏ほどのムスリムは育っていない。地域の環境なのか、両親の教育に対する考え方が的を得ていたのか、とても知りたいところである。

2004年11月25日ロンドン−トリポリ
見渡す限り緑の農地が広がるトリポリ周辺。 外国の航空会社ばかりが並ぶトリポリ空港。

 ヒースロー空港からリビアのトリポリに向けて飛んだ。この便には、イギリスの代表とロンドンでトランジットをしていた南米代表、台湾代表など十数名が同乗していた。
 トリポリ空港に到着して不思議に思ったのは、ほとんどが外国の航空会社のものであり、リビア航空のものがほとんどなかったことである。長い経済制裁で空路を絶たれていたからなのか、旅客機のメンテナンスができなかったからなのだろうか。寂しさを感じた。
 ただ、トリポリ空港到着前の景色は、見渡す限り緑の大穀倉地帯に変身していたのには驚いた。緑地化して気候すらも変えたいと以前より豪語していたカダフィーの政策の成功した一面がここに見れえているのかもしれない。折りしも、空港からホテルに向かう途中降雨があったのも偶然ではないのかもしれない。
 ホテルはトリポリ中心街からすぐの西海岸に位置するリゾートホテル バーブルバハルであった。10年以上前に来たときのこのホテルは荒れ果てていたが、今回は見違えるほど美しくなり、観光客、ビジネス客を迎え入れれるだけの設備が整っていた。
 私が入ったのは、地中海に面したシービューの見事な景観がある部屋であった。一応清掃が行き届いており、一流ホテルらしさが感じられる。
 明日から始まるコンフェレンスの参加者が次々に到着し、夕食は、大ホールで行われた。参加者は世界各地の代表とスタッフで、400名はゆうに超えるほどであった。参加者でとくに目立ったのは、アフリカと中央アジアからの参加者の多さである。

バーブルバハル ホテル客室 バルコニーに座れば、地中海の潮の匂いと、快い波の音が耳に優しい。
食事時、大ホールは人であふれている。 バーブルバハル ホテル
 夕食を食べながら、飛行機で一緒だった南米ガイアナの代表ファディール氏と、やはり南米スリナムの代表と、ダアワについて1時間以上意見を交換した。話の中で、イスラムの行事に合わせてできるだけ食事会などを開き、周辺住民を誘い、マスジドでどのようなことが行われているのかを見せることが重要ということで意見は一致した。
  同窓生だったタイの女教師ノーリーヤとタイの状況などについて話をした。タイ政府イスラム事務所の相談役で以前よりよく知っているマロレム氏は、現在国会議員になっていた。彼とも、イスラム事務所の活動内容などを今回は詳しく聞くことができた。さらに、タイからはタイムスリムの親玉的存在のセンダオ女史が2名の美女を従え高齢にもかかわらず参加していた。残念なことに、南部パタニ地域からの参加者が今回いないことは寂しさを覚えた。
 アラビア語を流暢に使いこなし積極的に男性の話の中に入っていくノーリーヤは、若かった頃は人気者だったが、今回はそうでもないようだ。同窓生でこの会議に参加しているのは彼女だけなので、顔をみれば気軽に声を掛けあっている。
2004年11月26日(金曜日)
 金曜集礼は、町の中心部にあるイスラムダアワモスクで行われることになり、参加者全員がバスに乗って移動した。まずは、主催者の世界イスラムダアワ協会代表ムハンマド=アハマド=アッシャリーフ氏が、モスクに隣接する建物の入り口で参加者一人一人を出迎えた。この建物は、以前私が学んでいたイスラムダアワ大学講義棟だったが、いつの時期なのか大学はトリポリ郊外の広いキャンパスに移転し、この建物は改装して応接棟となっているようだ。モスクも改装を加え以前の面影はあまりなかった。
 ここで軽食を囲んで主催者スタッフと参加者が一緒になり懇談がおこなわれた。参加者の中には、アフガニスタンのラッバーニ元大統領も居た。小柄であるが、風格のある態度は大物というイメージをかもしだしている。私が写真とらせしてほしいとゼスチャーで示すと、優しい目になり微笑みかけてくれた。なかなか、親しみを感じる人である。
 1時間ほど懇談の後、モスクに移動した。説教(フトバ)の内容は、参加者を意識して、このイスラムダアワモスクに関することであった。以前は宗主国イタリアの所有するキリスト教会であり、周辺はバーやキャバレーが多数あったが、革命によりこの教会を、イスラムダアワの拠点としたとのことであった。
 礼拝後、思い思いに記念撮影などを行った。
アフガニスタンのラッバーニ元大統領 ダアワモスクでの礼拝。
以前の面影はないダアワモスク 礼拝後混雑するモスク前
モスク前で記念撮影する参加者。私のカメラはまたラッバーニ氏を捉えてみた。彼だけが私のカメラを見てくれているのがうれしい。 よくイベントが行われる緑の広場をバスから撮影
 食事も楽しみのひとつである。リビアスープから始まり、フルコースの食事が出てくる。いつもながら残さず食べようと心がけているのでたくさん食べてしまってる。考えてみれば、ロンドンのノール家で、おいしい夕食だったので、ついつい何回もおかわりをして食べ過ぎてしまった。到着した昨夜は、メインディッシュに3枚のステーキ。そして、この昼は、控えようと思っていたら、なんとクスクシ料理で、満腹につぐ満腹。
昨晩のステーキ3枚 今日の昼はクスクシ料理。
 マグリブの後、世界128カ国からの代表を集めてイスラムダアワ協会総会開会式が開催された。
 ちょうどリビア訪問中のアハマド=ティジャーン=カッバー シエラレオネ大統領が臨席して開会式が行われた。今回の会議は第7回総会となり、そのテーマは((21_107.われは只万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。))というコーランの辞である。
 挨拶には次のような順で行われた。
1、イブラヒーム=アルゴワイル(決議文作成委員)が過去の総会内容紹介と活動報告。
2、ノリ=デ=カストロ(フィリピン副大統領)…イスラムは平和と愛の宗教。フィリピンにも目を配ってほしい。
3、アルムンジ=アブーセネーナ(アラブ連盟教育文化科学協会理事長)…アフリカにおけるアラビア語の普及貢献を評価。
4、バーロッチ=シランbishop (バチカン対話最高評議会)…同じ神を信じるものとして、人類の平和と正義のために対話をすすめよう。
5、サリム=アルフーミー(アブドル=ワーヒド=ビルクジーズ イスラム諸国会議機構事務局長代理)…イスラムダアワ協会は最も影響力のあるイスラム団体である。
6、ムハンマド=ハーシム=カールーキー(ISESCO事務局長代理)…イスラム分野での相互協力体制を。
7、アーヤトッラー=ムハンマド=アリー=アッタスヒーリー(イスラム学者最高評議会事務局長)
8、アンバ=ブフミオス(アレキサンドリアのコプト教会法王シュヌダ3世の代理)
9、ファウジー=アッザフザーフ(アズハル大学渉外委員長)
10、エマヌエル=ダ=マックス(ギリシャ正教)…1966年より対話を続けている。
11、ムスタファ=シーレック(ボスニアの学者)…
12、アル=ハビーブル=フージャ(イスラム法学協会会長)…対話と学術研究の重要性
というようにたくさんの来賓からの挨拶があった。これらは聞きながらメモをとったもので、十分に内容を伝えることはできないが、一般的にはそれぞれの立場どおりの挨拶だと感じた。
 続いて、前イタリア大統領とイタリアの内務大臣からのメッセージを披露した。そして、閉めとして、主催者ムハンマド=アハマド=アッシャリーフ(世界イスラムダアワ協会代表)の歓迎の辞と会議のテーマの説明があった。続いて、臨席していたシエラレオネのアハマド=ティジャーン大統領から英語での挨拶があり、長かった開会式は終了した。
開会式では会場が超満員となった。 ムハンマド=アハマド=アッシャリーフ(イスラムダアワ協会代表)のあいさつ
 この会議に日本から参加したのは、世界イスラムダアワ協会東アジア代表理事のファドルッラー中道氏(中国系日本人)と日本ムスリム協会名誉会長の樋口氏、それに私の3人。どの国も2人から数人の代表を送ってきていたようである。
 会議はこれから毎日ハードスケジュールで進んでいく、メモを取るのもたいへんであるが、とにかく会議の様子をこのページで伝えてみようと思う。
 食事時間は、他の国の代表と意見交換ができる貴重な時間帯である。できるだけ多くの国の人と対話を心がけている。この時点までで、意見交換をしたのが、カナダ、ガイアナ、スリナム、タイ、オーストラリア、台湾、中国などである。限られた時間なのでイスラム国よりは、マイノリティームスリムの国からの代表との意見交換をどうしても優先させているのである。
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