ダールベルクのロビンソン物語 2

ロビンソン・クルーソー、銀行家となる
(貨幣の制度上の性格における進化)
 
 

 経済への金の導入は便利ではあったが、支出に対する通貨委員会のコントロールの度合いを破壊した。金は性格上、減価しないし、イメージダウンを被るものですらない。冷蔵庫の温度はこれに影響を与ええなかった。したがって、場合によっては自分のお金を流通させようとしないほうを選ぶ金の保有者はなんらの打撃を受けることもなくこれを保有できる。初め金は保有目的に最適な単なる資産であった。しかし時が過ぎるなかで、別の種類の資産が、通貨上に起こった変化のなかで、保有されうるものとなった。

 小さな一塊りの金でさえ、完全な交換手段ではないことが判明した。個々の取引における評価で損失を受けたり、削り取られたり、不正確な評価を受けがちであった。したがって、バターから金への交換は最終的には行われなくなった。

 島民たちが所有の制度を所有権を表象するものにまで拡張して適用しようとしたとき、第二の変化が起こった。島に入植が始まったとき、島民は法を守らせる警官バッジを付けた人間を選んだ。そして彼は、みなの同意で、国の警察権力を執行するのだとアイリッシュ口調でいったものだ。彼の主な仕事は各人が自分の物を保有することを保証することであり、権利や義務、自由、責任などを守らせることであった。これを容易にするために、警察官は島民が品物を手に入れたときはいつでも、この品物の権利書を作成するよう要求した。つまり、警察官は島民が所有するすべてについて「権利証書」を作成するよう強制したのである。ちょうどそれは、今日、われわれが我々が所有する自動車や犬や家屋について「権利書」を作成するのと同じであった。それが意味したのは、作成された「権利書」が「倉荷証券」だということであり、それ自体、貨幣として非常に使いやすいものであることが判明した。しばらくして、警察官は譲渡できる証書を作成させたので、これらはたいへん活用されるようになった。
 

 貨幣として譲渡可能な証書の活用は島の交換市場に倉庫を作り出すことになった。豊かな取引者たちはそこに、より傷みにくい財を蓄えた。いまや生産者は生産物を販売者に委託販売で引き渡すことができるようになり、生産者は倉庫受領書を代わりに受け取った。この受領書は貨幣としてどこででも受け入れられた。その結果、帳簿記入の方法を使って、帳簿「信用」とか、「倉庫証券」とか、「代用貨幣」、「移転証書」とか、こうした受領書がなんと呼ばれようが、生産者は倉庫にある財の受領書をお互いに交換しあうだけで財を交換できるようになった。

 こうした「所有証明書」あるいは「倉荷証券」は金そのものと比べてさえ、より容易に分割できるし、いっそう便利で、盗難にも強かった。にもかかわらず、これにはひとつの大きな弱点があった。この弱点が貨幣の四つ目の種類を使用させることになった。金と違って「所有証書」(すなわち、倉庫受領書)は金に対する所有証券を唯一の例外として、損失なしには保有されえなかった。明らかに、卵や毛皮、織物の所有を証する証券は財それ自体と同じスピードで価値が減価したのである。ただ金の所有証券だけが時の経過のなかで減価しなかった。金だけが無事に保有されえたのである。したがって、貨幣の進化の第四ステップとして、島民は「金の倉庫証券」を除き、あらゆる倉荷証券の貨幣としての使用を止めたのである。すなわち、島民は貨幣の第四タイプとして「金証券」だけを選びだしたのである。こうした調整のもとで、合法的な権利証と富の物理的保有が分離されたのである。金それ自体は、金に対する権利証が交換手段として外部に流通している間も、地中や倉庫のなかにあったわけだ。
 

 こうして、島の社会は数回、連続して、使用する貨幣の性格を変更した。最初は、一つの、減価する財、すなわちバター。二番目に、一つの減価しない財、すなわち金を交換の媒介物として使用した。三番目に、傷みやすい、さまざまな財に対する「所有証券」、そして四番目に、ただ一つの、傷むことのない財、すなわち金に対する所有証券である。

 したがって、この第四段階で、島には銀行家が専門職として生まれ、「金に対する権利証」のみを扱った。そしてちょうどヨーロッパ中世のフッガー家のような金貸しが貴金属に対する権利証を料金をとって貸し付け始めた。だからロビンソンの島の銀行家も同様のことをした。事実、製材業者であるロビンソン自身も、一樽もの金を獲得した資産家の一人として、外交官のようなズボンをはき、フラシ天の帽子をかぶり、モーニングコートを着て(訳注、昔の銀行家の典型的スタイル)、銀行家の役割を果たし始めた。貨幣の発展の、この第四段階で、金の塊が貨幣として使用されていた第二段階と同じような規模で、損失のない保有が発生したのである。明らかに、金が存在すれば、同様の「金に対する倉庫証券」が存在した。そしてこうした保有しうる額は当初、島の富のわずかな部分でしかなかった。

 保有、あるいは交換を停滞させることがはるかに大規模に可能になったのは、貨幣の第五の進化段階でである。そこでは「金に対する所有証券」が、一定の「債務証券」にとって変えられたのだ。その証券はその価値が金によって保証され、表現されるものであった。われわれは、このような「債務証券」がどのように貨幣として使用されるようになったかを説明する前に、それが、まず、生まれ出たのはどうしてか、そしてそれが保有されることになる相対的な傷みにくさをどうしてもつようになったかを説明しよう。
 

 債務証券が生まれたのは島が警察官を導入してすぐのことである。製材業者のロビンソンが銀行家や冷蔵庫を発明する前の、ある日、バターしか製造していなかったフライデーが彼から材木を購入しようとした。しかし、一時的であったが、ロビンソンは自分の消費や資本設備を拡張する気がなく、そうしたことを実現するためのバターを欲していなかった。彼はバター貨幣を再支出して利益があがると思わなかったので、彼がバター貨幣を受け入れても悪くさせるだけであった。こうした、バターに強い需要を感じないロビンソンに対して、フライデーはひどく木材を欲しがっていたので、こう言うはめになってしまった。「いま、1000フィートの木材を売ってくれ、そうしたら、今から、90日間100ポンドのバターを君に支払うことを約束するよ。あるいはそのほうがよければ、君が欲しいときに要求に応じて、その分のバターを支払うよ。ここに、抵当としてぼくの家屋敷(数千ポンドのバターの価値がある)の権利証がある。約束したように君に支払えなかったら、これを売って、売り上げで君に弁償するよ。」ロビンソンは同意した。「債務証書」が作成された。ロビンソンとフライデーは、協定を確認するために、警察官のマリガンを呼び、そうして、取引が実行された。
 

 この取引はロビンソンにとって素晴らしいものであった。なぜなら彼の新たな資産、つまりフライデーの義務は(価値基準である)バターで表現
され、バターの現在価値に相当するばかりか、その購買力が90日間バターで保証されもするからである。また、フライデーの家屋敷の価値のうちバター100ポンドを超える(フライデーの債務)額がロビンソンに対するフライデーの債務の保証準備ともなってもいる。もはやロビンソンは倉庫を構える必要もないし、自分の資産が腐らないようにするために冷蔵庫も必要としなくなった。もう彼の需要を差し控えておく力を台無しにしたり減退させる限界というものは存在しない。いまや利得という誘いだけが彼の新たな資産(フライデーの債務)を支出させることになる。通常、需要減退を伴う交換価値における損失を恐れることもなければ、ふつう財を倉庫に保管することで行使できる価値の使用における損失の恐れもない。こうした事情がロビンソンを支出へと向かわせる。

 単なる契約の締結を通して、ロビンソンは資産である木材を、つまりこれは気まぐれな需要によって価値が変動するものであるが、それを、90日間、価値基準によって購買力が保証された価値をもつ資産と交換したことに注意しよう。たまたま、島民が選んだマリガンが新たな種類の資産を認めたのであるが、その資産は島で作り出された価値の減価に対してかなりの抵抗力があったのである。
 

 さて、「債務証書」が存在するようになった次第がまた、どうしてその額面価額を保証する価値の準備をもたねばならないか、そしてまた、それが保有手段として有益であることが明らかになったとすると、われわれはどうしてこれが交換の媒介物として減価する「所有証書」(訳注:金為替を除く財担保通貨を指す)に取って変わったのか検証してみる必要がある。

 ロビンソンやその他の銀行家は、「倉庫受領書」を貸し付けていたとき、思いもかけないビジネス機会を発見した。銀行家が「所有証書」を貸し付けているとき、そしてそれが倉庫にある金の受領書であるときでさえ、借り手は銀行から金それ自体を運び出そうとはしないことに気づいたのである。ひとびとは銀行を信頼していたので、人々は物理的な金の一塊りを活用し、利子を支払っていたときのように、「金に対する権利
書」を同様に利用しようとし、利子も支払おうとしたのである。人々は銀行家を借り受けた金属の管理者として振る舞うようにさせたというわけだ。

 人々は自分たちの金を運び出さなかったし、その金は質において均質であったので、銀行家たちはこれを利用するのに躊躇しなかった。たとえば、ロビンソンが指摘するところでは、彼が発行した十枚の金担保の所有権証書で所定の期間に金に換金するとして提示されたのはおおむね、一枚ほどであった。人々は通常、それを金に換金するよりも、交換の媒介物として金に対する権利証を活用するほうを好んだのである。したがって、倉庫受領書あるいは権利証が提示されたとき、ロビンソンは金が均一で、どの量の金も品質に間違いがないので、任意の、手持ちの金で換金した。そこでロビンソンはまた発見をした。預金の流れは実際、その引き出しの流れとイコールであること、そして預金者たちが彼が倉庫にもっていると考える金の十分の一をためておけばいいことを、である(原注:もちろんロビンソンの行動は銀行システム全体の行動を代表していると仮定している)。結果的にロビンソンは実際に彼が発行の根拠とする金の倉庫受領書、あるいは金担保証券を十倍発行し、貸し付けた。これは銀行の習慣となった。実際に存在する数百オンスの金で数千オンスの「金」が利付きで貸し付けられたのである。
 

 しかし、保有する以上の金を「貸し付ける」ことで、実際には経済的事実として、銀行家は要求に応じて金を支払うという約束を「貸し付けて」いたのである。この約束は実際には「倉庫受領書」とは異なったものであった。なぜなら銀行家は彼らが「貸し付けた」金のすべてを保有していなかったのであり、単に約束しただけで、仮にそうしなければならなかったら自分たちの資産を販売するか、再割引することで(交換に、金を手に入れる)よいと考えたのだからである。彼らはその約束を同時に果たすのに十分な金を手に入れることは必ずしも出来はしないことを十分に知っていたが、つまり金は十分にあるわけではないのだが、他の者よりも迅速に金を入手しうるという偶然に賭けたのである。そうして、保有する以上の金を「貸し付ける」ことで、彼らは実際には、「金の所有証券」ではなく「債務証書」を貸し付けたのである。銀行家たちは、競って融資を極大化しようとして、実際には貨幣の性格を変更してしまったのである。

 時がたち、銀行家は彼らが貸し付けているのは「倉庫受領書」ないし「所有証券」であるという見せかけさえ止めてしまった。彼らが金の管理者として振る舞っており、その金に借り手は利息を支払っているのだが、その見せかけをなくしてしまったのである。最終的には、彼らは気ままに彼らが貸し付ける証券や譲渡可能な証書を振り出した。以前のように、「これは第14金庫室にある第2481番の金に対するあなたの所有証書です」ではなくて、「これは要求に応じて金一オンスを支払う私どもの約束でございます」ということだ。明らかに、もはや新たな紙の貨幣は金に対する権利証ではなく、金を要求されたときにはそうするよう(試みる)約束である。それはもはや「かごの鳥」ではない。森のなかの鳥だ。にもかかわらず、この証券で表される交換は現実的で実際的なものだ。なぜならそれが関係して取引がすでに実行されているからだ。しかも借り手はこうした現実に満足していた。このときから、「所有証券」ではない「債務証券」が島民の交換手段となった。貨幣進化の第五ステージは完全であった。「支払い約束」つまり支払いの義務はいまや金貨とともに、次々と流通していった。金はバーター経済の遺物になった。こうした約束の流通は信用経済を作り出すことになった。そうして通貨委員会が減価させえない契約上の価値をもつ保有可能な資産が十倍にも膨らんでいったのである。
 

 こうした進化の第五ステージは最新のものであったが、それが貨幣の性格における最終的な物理的変化であったわけではない。ロビンソンとその他の銀行家が「債務証書」を作りだしたとき、彼らは通常、「これは要求があり次第、金を支払う私どもの約束でございます」と記載してある実際の紙券を発行しなかった。彼らはこうした実際の紙券はほんのわずかしか発行しなかったのだ。こうしたわずかな紙券が同島の紙券、つまり通貨を構成し、当初から実際に使用されるものとしてデザインされた(原注3)。銀行家が発行した「支払い約束」のほとんどは、借り手の借入として記帳されただけであった。借り手自身は「証書」(債務証書)にサインし、実際の紙切れを作成した。しかし銀行がしたことといえば、借り手の口座の記載数字を変更しただけである。借り手の預金通帳に銀行員がした数字を記録するという簡単な手続きが紙の証書を作
成し、使用するという煩わしさにとって変わったのである。機能的にも、法的にも、そうした記帳は印刷された債務証書と等価であった。しかし彼らははるかに単純なやり方を提供したのである。
 

(原注3)アイスランドの銀行家たちは、彼らから借入れをするプライベートな個人とまったく同じ様な方法で彼ら自身が借入を行う中央銀行を組み立てることで銀行の活動を調整した。それで、彼らは中央銀行と資産をやりとりすることで、彼ら自身の債務を中央銀行の債務に代替させることにしたわけだ。これはその債務をポケットのなかにある証書とし、そのことで、同国のポケットマネーとして使わせようとしたものだ。地方銀行でさえ、彼らの預金者に対する債務を「小切手」貨幣として使わせ続けたが、これにしたがったのである。中央銀行、つまり銀行の銀行は調整者、効率的なエージェントとしてもっぱら振る舞った。多くの法律が中央銀行とその会員銀行の資産と債務のあいだで、また、金と中央銀行券や会員銀行の預金など間で維持されねばならない一定割合を定めてきた。こうした規制が行われたにしても、なにゆえアイスランドに不況が訪れるか明らかにされることはなかったので、このように規定された一定割合を検討してみる必要もなかろう。指摘されるべきは、アイルランド人が合理的に銀行システムを調整しても、それは産出高を制限する要因ではなかったということだ。彼らは銀行システムの様々な種類の資産と債務の関係を維持させるように銀行に課した法定割合を変化させることで景気循環をコントロールすることに少しも成功しはしなかったのである。
 

 ちなみに、島民たちが、「通貨」(すなわち紙券に変えられた支払い約束)を使用しないことを保有とみなしたのに、彼らが習慣的に、こうした紙券と経済的に同じである銀行預金の非使用を保有とみなさなかったという貨幣の理解は余りにもナイーブであると指摘されるかもしれない。
両方とも銀行システムの一般化された資産に対する請求以外のものではない。ナイーブさはまた、島民たちが金や「金証券」を保有する者を罰する法律を通過させたのに、記帳の形態で存在する債務証券を保有する者を「貯蓄者」として褒め称えさせたのである。

 いまここで描き出したのは、貨幣がどのように銀行家の債務証券、つまり通貨委員会が規制しえない支出の形態へと進化していったかである。われわれはこうした銀行業務の特質を見てみなければならないし、銀行家の債務証券の支出率が最終的にどのように通貨委員会のコントロールのもとに置かれなければならないかを理解すべきであるとするなら、その他の制度的調整法を検討してみなければならない。それは長い道のりであるが、おそらく旅行するに値する非常に多くのことが含まれていよう。もしわれわれが「需要」の性格とどうやってそれを刺激するかを理解する必要があるのであれば、また、債務を理解し、その貨幣としての使用をどのように管理するかを理解する必要があるとするなら、いくつかの側面で銀行業務を検証してみなければならない。それは、社会が、現代の「需要というもの」が常に身にまとわりつかせている債務の特別な形態を扱わせるために偶然にも編み出した複雑な制度的組み合わせであるのだが。
 
 

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