あらゆる称賛は、萬養育の主アッラーのもの。預言者ムハムマドに祝福と平安がありますように。
本日のホトバは、ズール・ヒッジャ月の最初の10日間の徳と犠牲についてである。
アッラーは、クルアーン・暁章において次のように述べておられる。
「暁において、」「十夜において、」(89章 1?2節)
イブン・アッバース他時代を超えて学者たちは、これはズール・ヒッジャ月の最初の十日間の事を言っているものであると述べている。また、イブン・アッバースは、クルアーンのこの章節に関し、ズール・ヒッジャ月の最初の十日間を想定した上で、「この良く知られた日の間に、アッラーに特別に思いを寄せるがよい。」と述べている。
称賛はアッラーのもの。アッラーは、時間を創造なされ、或る時間を他の時間よりも、或る月、或る日、或る夜を、他のそれよりも勝るものとなされた。即ち、しもべへの慈悲として何度にも亘って報酬を増やす機会を設けたもので、この事がしもべたちに善行をもっと行い、礼拝にもっと熱心になるのを助長することとなるのである。それは、ムスリムたちにとっては、死への備えであり、審判への準備を整えることとなる報酬をより多く獲得する努力を新たにする結果を生むものである。次のハディースを参考とするがよい。「預言者さま(祝福と平安を)は述べられた。『それらの日(ズール・ヒッジャ月の最初の十日間)に行った善行は、その他の日々に行った善行よりも勝るものである。』 すると教友の一人が、『アッラーの御使いさま、アッラーの道の為のジハード(奮闘努力)よりもですか。』と質問したのに対して、預言者さま(祝福と平安を)は答えられた。『アッラーの故に命と財産を危険にさらし、そしてその両方を失った者の行為を除くなら、ジハードよりもである。』」
アラファートの日の断食斎戒について、預言者さま(祝福と平安を)は、次のように述べておられる。「アラファートの日の断食斎戒は、前の一年と次ぎに続く一年の、二年間の罪のあがないとなる。アーシューラーの日の断食斎戒は、前の一年間の罪のあがないとなる。」
犠牲について、アッラーは、イスラームの崇拝行為の第一のものは礼拝であり、それに継ぐのが犠牲を捧げることであると述べておられる。即ち、アッラーはクルアーン・潤沢章において、預言者さま(祝福と平安を)に対して、犠牲を捧げる事を命じておられる。
「さあ、あなたの主に礼拝し、犠牲を捧げなさい。」(108章 2節)
ムスリム学者の一般的な見解として、犠牲は大切なスンナであり、礼拝はアッラーの掟として命じられた行為であるとなっている。その一方で、経済的に余裕が有る者にとって、犠牲が任意であるのか義務であるのかに、彼らの見解は分かれている。或る学者は、経済的に余裕がある者にとっては義務であり、余裕が無い者にとっては義務ではないとする、犠牲に関する別のハディースをもって説明している。
アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。
アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。