アッサラーム誌49号より(1991年7月1日発行)
イスラームとキリスト教
ウルファート・アスィズサマド

はじめに
 宗教の比較研究において、キリスト教徒とムスリムではアプローチがまったく異なる。キリスト教徒は、キリスト教だけが真の宗教であり、ユダヤ教はキリスト教への準備段階として認めるが、他のすべての宗教はにせものであると教えられて育っている。神はイスラエルの民を選び、その民族だけに預言者を遺わし啓典を授け、人類へのメッセージを伝える唯一の民族とした。当然、イスラエルの預言者だけがほんものであり、他に預言者を称する者はにせものである。
 キリスト教会は、イエス・キリストの絶対値を護るため、他の宗教の創始者たちの偽善と邪悪を証明することに膨大なエネルギーを費やしてきた。その大部分が固定観念と偏見にみち、狂信的な真実への盲目性にあふれたものであることは、イスラームとその預言者ムハンマド(彼の上にアッラーの祝福あれ)について書かれた大量の著述を散見するだけで分かる。かれらは控えることなくクルアーンを誤訳・曲解し、その尊厳をおとしめ、あくことなく預言者ムハンマドについての誹膀と中傷を繰り返してきた。他教に似たような教えがあると、かれらは失望し、それがキリスト教の影響によるものと強弁する。キリスト教の唯一絶対性が損なわれてはならないからである。
 これに対してムスリムは、大宗教のすべてはアッラーからの教えであることを信じている。イスラームの聖典クルアーンは、太古からのすべての民族を正道に導くためアッラーがそれぞれの民の中から預言者を任命したことを告げている。すべての世界を創造しそのすべてを養育するアッラーは情け深く公正である。ひとつの民だけをえこ贔屓する氏神ではない。ムスリムは、すべての大宗教の樹立者を正当なる者と認めなければならない。むろんムスリムはユダヤ教徒やキリスト教徒がモーゼ(ムーサー)やイエス(イーサー)の教えから逸脱したことを残念に思うであろうが、それらの預言者たちを否定することはムスリムには不可能である。ムスリムは聖クルアーンにあるアッラーのお言葉で、彼らが真にアッラーの預言者であったことを告げられているからである。ムスリムは、預言者ムハンマド同様に、すべての預言者たちを敬愛しなければならない。預言者たちに平安あれ!
 このようなことを念頭に置き、イエスとムハンマドの両者および彼らの説いた宗教に深い尊敬と愛情を抱き、そのうえで私はイスラームとキリスト教の比較にとりかかった。本文の中で私がキリスト教徒の信仰に反対の立場をとるときは、それはイエス自身の説いた教えに反対しているのではなく、キリストが去ってから変更された形式や教義への反対であることを明記しておきたい。

第一章 聖書とクルアーン

 キリスト教とイスラームはともに唯一神からの教えであることを言明している。
 イエスは、教えが自分のものではなく、神からの言葉を伝えることを強調している。
 「私は自分の言葉は語らない。私を遣わした天なる父が何をいかに伝えるかを命じた」(ヨハネ福音書一三‐四九)。イエス・キリストは自らを「神に教えられた真実をあなたがたに伝える人」と表明した(ヨハネ福音書八‐四〇)。
 一方、イスラームの預言者ムハンマドもまた、同様に神の言葉を伝える者である。
 「それ(クルアーン)は万有の主からの啓示であり、真なる聖霊が汝(ムハンマド)の心に持ち下ったものである。汝が警告者の一人となるために」(クルアーン 第二六章第一九二~一九四節)。
 このような両者の立場から、必然的に教えの真性は両者の伝えた教えが現在まで正確に伝わっているか否かにかかってくる。もし神から預言者に下った啓示が正確に記録されず、また人為的な誤りや改竄があったなら、その宗教は真実から離れたものと見なされる。本章では、イエス・キリストとムハンマドの受けた神の啓示がどれだけ正確に伝えられているかを検討してみよう。

聖書の構成と性格

 バイブルにはマテオ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書があり、そこには神示によるイエスの言葉が多く含まれている。これら福音書は、今では失われた初期の書物に基づき、イエスが去って四〇~八〇年後に編纂された。聖書学者はその初期の記録を次のように分類している。

一、Q(ドイツ語のQUELLE‐源)。ギリシア語福音書の書き手に伝わった、失われたアラム語の書物。

二、URMARCUS(始点。ペトロから伝え聞いたマルコの最初の原稿。

三、L。ルカのみが引用している、イエスについての伝聞。

 四福音書を比較してみると、その著者たちはこれらの失われた記録を相当自由奔放に扱ったようである。それらには彼らの理解と目的につじつまを合わせたところが多い。最初に書かれた福音書はマルコ福音書で、いわゆる「キリストのはりつけ」の約四〇年後に書かれた。現今のマルコ福音書はURMARCUSの加筆訂正版と考えられ、これについて初期のキリスト教著述家パピアスは次のようにコメントを残している。
 「長老ヨハネの言葉によると、マルコはペトロから聞いたことを思い出せるかぎり正確に書き留めた。しかし、それはイエス・キリストの言葉や行為を正確な順序で伝えているわけではない。彼は主の言葉を直接聞いたことも主と同行したこともなく、ただペトロ一辺倒にすがりついていた。そしてペトロ自身は主の言葉を全体的な意味で伝えるより、聴衆の望むところを話したがっていたからだ」
 Roberts and Donaldson (editors),The Ante‐Nicene Fathers,vo1.p.154~5
 マルコ福音書が実際にURMARCUSの加筆訂正版であるかどうかは確定不可能である。この点に関しては著名な聖書学者間で多くの論議が重ねられているが、オックスフォード大学キリスト教会史部主任教授C・J・カドー博士はマルコ福音書の性質と構成について次のように集約する。
 「それは西暦六五年のペトロの没後に書かれたもので、イエスの使徒ではなかったマルコは、もう使徒たちと相談し確認する手段を持たなかった。そのため彼の福音書には、まったく正確な記述と不正確や無知が混在する」
 (J.J.Cadoux: The Life of Jesuss Penguin Books,p.13
 マテオ福音書は、西暦九〇年ころシリアの古都アンテオケで、ギリシア語で書かれた。その著者は少なくとも失われた書物のうちの「Q」と「URMARCUS」を使っている。この書がイエスの使徒マテオ本人によって書かれたものとする学者はいない。もしマテオが何かを実際に編纂したなら、それは「Q」だけであったはず。著者不明のマテオ福音書において、その著者の奔放な姿勢についてC・J・カドーは言う。
 「マルコ福音書からの参照部分についての扱い方を見ると、彼が偉大な主の栄光に酔い、編集や描写において節度を失っていることが分かる。このような著者の姿勢は「Q」からの引用や他の部分でも多く見られる。このため、マテオ福音書独自の記述に関しては、その史的な扱いに慎重にならねばならない」
 C.J. Cadoux: The Life of Jesus, Penguin Books, p14~15
 第三のルカ福音書は、西暦八〇年ころのギリシアで、ローマ帝国高官だったと思われるテオピルスに捧げるために書かれた。その書の本質はユダヤ人以外の人々への弁解である。聖パウロの友人で同行者でもあった著者は、失われた原書のうちの少なくとも三つ(マテオ福音書同様の二原書、プラス独自の文献)を駆使している。ルカは福音書をパウロの考え方に近付けようとし、その結果、マテオ福音書の著者以上の表現上の自由を享受している。
 マテオ、マルコ、ルカの三福音書は、同じ失われた原書に基づき多くの点で共通の内容をもつため、共観福音書と呼ばれる。これにたいしてヨハネ福音書はまったく異なる。イエスの神性と先在(天地創造以前の存在)は、イエス自身はそのことを主張したことはないにもかかわらず、この書だけにはある。著者は福音書の冒頭で、世界を創造した神の言葉ロゴスが顕現してイエスになったと主張している。ヨハネ福音書は西暦一一〇~一一五年ころエペソ付近で、セム族に反感をいだきユダヤ人をキリストの敵と考える無名の著者によって書かれたものである。どの学者も、この書をゼベデオの息子ヨハネ本人の書いたものとは考えない。R・H・チャールス、アルフレッド・ロイシー、ロバート・アイスラー他の学者たちの検証では、ョハネは西暦四四年にアグリッパ一世によって首をはねられている。それはヨハネ福音書の書かれるはるか以前のことである。今日の聖書学者はヨハネ福音書の著者の言葉を疑うのみならず、彼がイエスの言葉として引用している部分についても信憑性を疑っている。C・J・カドーは次のように言う。
 「第四福音書のイエスの説話は共観福音書とは完全に違い、第四の福音者自身の言葉と類似しており、イエス自身の言葉の記録とはとても考えられない。今日と違って当時の歴史家の間では、歴史的人物の言葉を勝手に創作することは慣例であった」
C.J. Cadoux: The Life of Jesus, Penguin Books, p16

四書の信頼性

 これら福音書が著されたのは、初期のキリスト教徒が多くの派に別れた後である。それらの書はそれぞれの教派の教えを布教するために著されたものであり、著者たちはその目的に合わせるため、イエスの教えや生涯に関する、以前の文献や資料を恣意的に扱うことを躊躇しなかった。T・G・タッカー師は言っている。
 このように福音書は当時の人々の実際的な必要を満たすために書かれた。以前の文献や資料は使用されたが、著者の目的に合わせるための加除変更をためらう者はいなかった」
  T.G.Tucker: The History of the Christians in the light of Modern knowledge, p.320

 初期のころ、バイブルにあった福音書は四福音書だけではなかった。ナザレびと(初めの使徒たち)が使っていたアラム語福音書をはじめとする多くの書が存在していた。ナザレびとはイエスの神性は否定し、イエスを偉大な預言者としていた。西暦二世紀の終わりころ、マルコ、マテオ、ルカ、ヨハネの四福音書がカノン(教会の法規)に含まれ、他は異端または偽経として排除された。それらの四書が不可侵の聖典と定められるまえには、聖書には今日のような神聖さはなく、自派の目的にそぐわない部分は誰でも自由に変更して使っていた。いや、カノン法典と定められ神の言葉と確定した後でさえ、加除変更は長きにわたって行われていた。そのことは、現存の初期法典の数々を調べてみれば判明する。このことについてケンブリッジ大学のダンメロー教授は有名な「聖書の解説」の中で語る。
 「書き写す者はときどき原典そのままではなく、こうあるべきと思うことを書いた。不確実な記憶を頼りにしたり、自派の考え方に適応させていた。キリスト教神父たちの多くの訳書に加えて、ギリシア語での約四〇〇〇もの聖書の異なるスクリプトが存在した。そのため、聖書の理解にはいくらでも異なる読み方が可能となる」
 J.R.Dummelow: Commentary on the Holy Bible, p.16
 カノン法典四書がどれほどイエスの受けた神示(イエス本人の福音書)を誠実に伝えているかを検討するためには、次の事実を念頭に置かねばなるまい。

一、神示を伝えるイエスの言葉は、彼の生前には収録されなかった。
二、イエスが去って彼の賛美が始まった時期の最初の記録は残っていない。
三、失われた記録を基に著された西暦七〇~一一五年の福音書では、偉大な栄光をキリストに付与するため、あるいは自派の教理にマッチさせるため、奔放な改変がなされた。
四、福音者たちは、誰もイエスを知らず、イエスの言葉も聞いていない。
五、イエスの語る言語はアラム語であったが、それら福音書はギリシア語で書かれた。
六、それらは異なる教派のそれぞれの教理を擁護するために書かれ、また多くの相対する書の中から選ばれたものである。
七、それらが書かれてから少なくとも百年の間、不可侵の神聖さはなく、異なる教派の筆写家によって自由に書き換えることが可能であり、また実際に書き換えられていた。
八、現存する最初の古写本シナイ版、ヴァチカン版、アレキサンドリア版は西暦四~五世紀に属するもので、空白の数世紀にどれだけの改変が行われたか知る者もいない。
九、それらの古写本間にあまりにも多くの相違があり、
そして
十、全体的に見て聖書は矛盾にあふれている。

 西洋の学者によるこのような考察は、イエスの福音書(イエスに下った神示)が正しい形で現在の私たちに届いていないことを明らかにしている。バイブルの四書はイエス本人の福音書と同一ではありえない。それらの構成方式や時代の曲折を経た道程を考慮すると、イエスの説話や教えを正確に伝えているものとは考えられない。この点に関して、C・J・カドーは『イエスの生涯』の中で書く。
 「四福音書から空白の世紀聞を乗り越えて元の真実を探るために他の多くの資料を漁ると、途方もなく違った結論に到達してしまう。その不確実性は圧倒的であり、仕事を放棄したくなるほどである。四福音書にある、史実に反したり、ありえない出来事の羅列がキリスト神話説を呼び起こしている。勿論、多くの資料の考察により神話説は否定されるべきだが、残る矛盾や相違は重大である。イエスの実在を確信する今日の学者も、聖書の伝説的神話的記述から歴史的な真実を抽出し、イエスの使命を再構築することは不可能であると匙を投げている」
C.J.Cadoux: The Life of Josus, PenguinーBooks, p.16~17

クルアーンの確実性

 これに対して、クルアーンにはそのような疑問はない。そこには預言者ムハンマドが受けた神示だけが記されている。神からの啓示は断片的に下り、彼はその都度、教友たちに伝え復唱させ、暗記はもちろん、書き留めることさえ要請した。また啓示の断片をどの章句に挿人すべきかを明確に指示していた。このようにしてクルアーンの全内容は彼が生きている間に数百人の記憶に刻まれ、また書き留められた。
 預言者の没後、最初のカリフ=アブーバクルはザイド・イブン・サービトを啓示のすべてを本にまとめる責任者に任命した。教友たちは啓示を羊皮紙や切れ端などに書いていたが、ザイドはそのすべてを収集し、クルアーンを暗記している教友たちに確認した上で、一冊の本にまとめあげた。この本はムスハフ(綴じられた葉)と呼ばれ、教友たち全員の校閲を受け、正確性が確認された。第三カリフ=オスマンは暗記者たちの厳重な校閲のもとでムスハフを七冊筆写させ、地方のセンターに送った。この七冊のうちの一冊がタシケントに現存する。ロシア政府はそれをファクシミリ模写によって出版したが、それは現在世界中で使われているクルアーンと完全に同一のものであった。このことはムスリムの第一世紀の初めからの、全本または章句の、いかなるクルアーンの刊にも言える。
 預言者の時代から今日まで、クルアーン全体を暗記する慣習は途切れることなくつづいている。現在では数十万のムスリムのハーフィズ(暗記者)が世界中にいる。その結果、東洋や西洋のいかなる学者も、ムスリムであれノン・ムスリムであれ、クルアーンの純粋さに疑問をもつ者はいない。非友好的な批判者ウィリアム・ムイール卿でさえ次のように語っている。
 「これ以外には、一二世紀間も純粋さを保持してきた書物は世界にはないのではないか」
 Sir William Muir, The Life of Mahomet, lntroductions p.18

第二章 イエスとムハンマド

 イスラームとキリスト教の対照的な部分を見るためには、イエスにたいするイスラームの姿勢と、ムハンマドにたいするキリスト教の態度を見るだけでよい。ムスリムはイエスが偉大な預言者であることを信じ、預言者ム
ハンマド同様に敬愛しているが、キリスト教徒はムハンマドを否定し、彼を誹膀する。
 客観的な立場から両者の生き方をみると、ともに誠実で神の道を説き、人々を罪と悪行から救い、神のご意志の実現に努力していたことがわかる。

イエス・キリストの生涯と使命

 イエス・キリストは西暦前七~五年にパレスチナの貧しい家庭に生まれだ。彼の若いころについてはあまり知られていない。ルカの記述によると、知恵と姿勢に優れ、神と人々に愛されていだ、という。イエスが三三~三五歳のころ、パレスチナに「罪を払うだめの悔悟の洗礼」を説く預言者が現れだ。その人の名は洗礼者ヨハネであり、イエスは彼によって洗礼を受けだ。このときイエスは啓示を受け、イスラエルの預言者だちの完結者、イスラエルの民への救世主として真の宗教を復活させるだめに、神に選ばれだことを知っだ。
 本来の神の宗教はイスラエルの民には無縁のものではなかっだが、イエスが教導にとりかかっだころ、サドカイ教徒の現世主義とファリサイ人の形式細目偏重によって、教え自体は歪められ、その精神は窒息しかかっていだ。ファリサイ人はタルムードを部分的・字義的に引用し「手を洗わない者は地上から消滅する」ことを強調しだ。イエスはかれらに対して「あなだ方は自分達の経典を護るだめ、神の命令を拒否している」と告げだ。かれらには『安息日』に関してばからしい決まりがあっだ。例えば、安息日には二〇〇〇キュビット(約1キロ)以上歩いてはいけない、酢は飲んでも良いが、うがいしてはいけない。命の危険があるときは医者を呼んでも良いが、骨折などを安息日に治療してはならない。イエスは気短にそれらの人工的に作り上げられだ決まりを攻撃しだ。「のろわれよ、偽善者の律法学士ファリサイ人よ。あなだだちは、はっか、ういきょう、いのんどの十分の一を納めながら、律法の中でいちばん重大な正義と慈悲と忠実を無視している。先のを無視することなく、後のをこそ行わねばならぬ。盲目の案内人よ、あなだだちはこばえをこし出して、らくだをのみこむ」
 彼の宗教の本質は、神への愛と隣人への愛だっだ。このことを彼は霊感的な説話や絶妙た寓話によって人々の心に植え付けようとした。
 サドカイびとやファリサイ人は、以前からイスラエルの預言者だちが告げていだ救世主と認めるどころか、彼を敵視し、ローマ帝国の司法官に圧力をかけ、はりつけ刑の宣告を出させだ。自分の周りの盲目な人々によって悪者とされだこの人は、史上まれに見るすばらしい影響力の持主だっだ。彼は純粋で高貴、誠実な一生を過ごしだ。彼は神のご意志を遂行する上で、勇気と優しさの同調する希な資質をみせた。友人だちに奉仕し、敵にも良いことを祈り、親切、無私、控え目であっだ。多くの奇跡を行っだが、それを誇ることはなく、常に『神の指先』の行いとし、そのようなことは他人にもできることと言っていだ。罪人や苦しむ人々への同情は絶大だっだ。彼が内なる悪魔を征服しだことは確かである。

ムハンマドに関してのイエスの予言

 イエスに対するユダヤ人の犯罪行為は、神からの祝福と恩恵の剥奪につながった。イエスはかれらに、もうかれらの中から預言者が現れることはなく、神の王国はかれらから取り上げられ、他のもっと価値のある民に与えられることを告げた。また、かれらが捨てた『石』は、神によって『基石』に選ばれたことを告げた。つまり、イスラエルの民が捨てたイシュマエルの子孫が神の最高の祝福を受け、イシュマエルの子孫の中から世界人類への預言者が現れることを告げたのである。イエスはその預言者の到来についてはっきりと語った。「あなた方にはまだまだ伝えることが多く残っているが、今のあなた方は耐えられまい。真実の聖霊がきたとき、彼はあなた方を完全な真実に導くであろう」(ヨハネ福音書一六‐一二~一三)。
 カノン法典外福音書では、聖バルナバ福音書の中で、イエスの後に来て世界を完全な真実に導く預言者『真実の聖霊』について語っている。
 「牧師はたずねた『その真実の聖霊の名前は何ですか。どうやってその人であることが分かるのですか』。イエスは答えた。『真実の聖霊の名前は″称賛される者″(アラビア語ではムハンマド)であり、彼の霊を創造して天国の光輝においたとき、神がそう名付けた。神は彼に待てと言った。「ムハンマドよ、汝のために天国、世界、そして無数の種をつくろう。汝を称える者は、彼自身が称えられ、汝を呪う者は、彼自身が呪われよう。汝を世界へ遣わすときは、救済の使者として遣わし、汝の言葉は真実だけである。そして天と地が崩壊しても、汝の信仰は崩れない』。聴衆は声を上げ『神よ、使者を遣わしたまえ、ムハンマドよ、早く来て世界を救ってください』と叫んだ」
 The Gospel of St. Barnabas, edited and translated from a Manuscript in the Imperia1 Library at Vienna by Lousdale and Laura Ragg, 0xford.

※次号は「イエスの語った預言者ムハンマド」を掲載します。