にっちもさっちもいかなく、困っていることがあると、どういうわけか、エホバの証人の方達が、我が家の門を叩きます。
1回や2回ではないので・・・主人は、「アッラーが見ているからだよ」と、肯定的とも思える発言をしていました。
私は・・・主人と結婚する前、エホバの証人の方達に、とても親切にして頂いた時期があり、何だろう?と不思議な感覚でいます。
皆さんは、どう思われますか?
エホバの方たちは、少しでも手ごたえを感じたところには頻繁に訪問するようです。
やすみん様、にっちもさっちもいかない時だけ来ましたか?
それとも、数ある訪問の中で、たまたま困っていたときに来た事が強烈に印象に残っているのでしょうか?
何事にも”印象に残りやすい状況”というものがあるように思います。
エホバの証人の「エホバ」は、ヘブライ語です。アラビア語では、「アッラー」です。アラビア語に直すと、「アッラーの証人」と、言っているわけです。ムスリムが「アッラーの帰依者」と言っているのと同じように思います。
アッラーの真理を理解し、体得すべく、週3回集まって予習して勉強をしあい、人によっては毎日のように真理を知ってもらうべく家々を訪問するそのバイタリティーは、預言者イエスやそれ以前の預言者らが語った「一番大切なことは、アッラーに思いを致すこと。それを実践するのが”愛(福音)=隣人愛(モーセの律法の書他)”であることを学んでいる」からです。
ある預言者は宗教に詳しい者から聞かれました。「律法の中で何が一番大切ですか?」その預言者は答えました。「愛と憐れみと信仰です。でも、その中で一番大切なのは、愛です。どんなに山を動かす程の信仰があっても愛が無ければ何の価値もありません。」
愛とは、慈。
憐れみとは、悲。
アッラー=慈悲。
同じ神を崇拝し、同じ真理を持っています。
解釈の違いからこれまで多くの軽蔑や争いが起こってきました。
さて、私たち人間は、アッラーをどれだけ理解しようとするか、一人一人の聖戦がモノをいう”時”にきているかもしれません。
エホバの証人は三位一体を否定する宗派ですのでそこはイスラームと共通していますね。
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