日本におけるダアワの環境的障害(日本語訳は下)
by al-Imam Mohsen Bayoumi
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翻訳:鵜川佳奈

 日本人は、人生のあらゆる面において、社会の慣習に従わなければ、「ソト」の人間として扱われ、多くの困難を被ることになるのです。

 集団として行動することには、多くの利点があります。この集団への強い忠誠心によって、日本は経済的成功をおさめることが出来ました。イスラムにおいても、家族と社会のつながりを強く保つように言われています。しかし、この日本における集団意識によって、他者は完全に排除されるため、もし日本人がムスリムになろうとすると、その人は伝統に従うことができなくなり、その結果、自身の家族や日本人の友人、そして仕事仲間の集団の中に残ることができなくなるのです。これもまた、日本人がイスラムを受け入れるのを妨げる壁の一つでしょう。

2.一般的な日本人の宗教観とイスラム

 伝統的に、日本人は多くの神々を信仰し、必要に応じて他の神々を受け入れることができます。神道は日本の宗教ですが、仏教も信仰しています。しかし、宗教的行事は神社か寺に限定し、神道と仏教の両方を信じているという日本人もいるでしょう。特定の日本人が、どちらの宗教を信仰しているか厳密に区別することは困難です。というのも、日本人は多くの宗教や文化を融合させ、伝統的な神道とともに育ち、仏教にのっとって死を向かえる一方で、どの宗教も心からは信じていないからです。

 さらに、日本人は仏教を日本文化と融合させ、独自の仏教概念を作り出しています。

 「本来の宗教的感覚を美学に変えてしまうということが、第二の問題の残り半分です。それはつまり、日本文化がいかに仏教を変化させたかということであり、また、日本人のもつ精神的観念であるのです。仏教と日本文化が融合し、いくぶん極端な形となったということは、現世を否定する仏教が、現世を肯定する宗教へと変わったということなのです。」

 このように、様々な信仰や宗教を吸収し、日本文化と融合させる傾向が確立されているのです。ホテルで行われているキリスト教式の結婚式がよい例でしょう。イスラムは、生活の細部にまでわたる完全で不可変的な社会モデルです。したがって、日本人がこれまで他の宗教に対して行ってきたように、イスラムを日本文化に吸収することは不可能なのです。何かを受け入れるためには他の何かを捨て去らなければならず、この点が日本におけるイスラムの普及の障害となっているのです。

 日本におけるイスラムのイメージは、反イスラム・プロパガンダを広めようとしている、圧倒的多数を占めるキリスト教徒の学者の著すオリエンタリズムの影響を受けてきました。多くの日本人が、イスラムは武力によって広められてきた、或いはムスリムは女性を蔑視している、と言うでしょう。また、イスラムはアラビア文化で、砂漠地方にのみ適している、と言う人もいます。3月30日に私が参加した大阪大学のシンポジウムでは、こういった意見が出されました。ある日本人女性が、この点について質問をしてきましたが、私達はその女性に対し、イスラムをもっと勉強し、どうして現在、イスラムが世界各国で広がりつつあるのかを考えてみるようにと言いました。

3.日本語

 イスラムの単語の持つ意味を的確に表す適当な訳語がないため、イスラムの単語を日本語で説明することは困難です。その結果、現在の聖クルアーンを日本語に訳すると、意味が曖昧な単語や不自然な日本語表現を使わざるを得なくなるのです。ウルドゥー語には似た意味を持つ単語が多くあるので、パキスタンでは聖クルアーンを理解するのが容易であると、Simar Abdul Hamid教授は述べています。教授はまた、翻訳においても基本的なイスラムの単語をアラビア語のまま残せば、アラビア語を話さない人でもそういった単語を知ることが出来る、と述べています。そうすれば、日本人にとっても聖クルアーンがより理解し易いものとなるでしょう。実際、英語の翻訳においても同様のことが言え、アラビア語が語源の単語を英語の辞書でも多く見かけることがあります。 >>>>次のページへ