日本におけるダアワの環境的障害(日本語訳は下)
by al-Imam Mohsen Bayoumi
  | 1  2  3  4  5  6 | 
翻訳:鵜川佳奈

 このことは、イスラムについて多くの文献を記している日本人アラブ学者のナカムラ・コウジ氏も言及しています。「イスラム地域に関しては、日本の文化や生活習慣とは全くかけ離れています。そればかりでなく、イスラムと日本文化の間には、何の共通点も類似点もないのです」と彼は述べています。

ii.社会の中心部に、日本の外部から来るものに対する本質的な抵抗が作られているのです。日本人は、自分達の文化的・血族的伝統に誇りを持っているので、外国人が仲間として受け入れられるのは不可能なのです。生涯日本で暮らし、日本の文化や歴史を理解している外国人でも、完全に日本の社会に受け入れられるわけではなく、いつも「ガイジン」とみなされているのです。これは、外国人が徐々に社会に受け入れられ、その結果イスラムが浸透しつつある西洋諸国と大きく異なります。そしてこの点こそが、ダアワにおいて大きな障害となっているのです。

2.伝統

 文化、信仰、そして伝統によって日本人の民族的アイデンティティが支えられています。その結果、日本人はこういったものに固執し、出来る限り守ろうとするために、自分たち自身でも論理性を否定しているような宗教的儀式に参加しているのです。もし誰かが、特に部外者がこういった信仰に異議を唱えるようなことがあれば、日本人の民族的プライドは傷つけられ、防御的な態度を取るでしょう。もし人々が自分の信仰に疑問を抱いたり、自分自身を向上させることをためらうのであれば、そういった人々は真実を脅威と感じるでしょう。明らかに、このことがイスラムの真の教えを理解するのを妨げているのです。

3.「ウチ」と「ソト」

 日本語の用法にも表れている、日本社会固有の特徴のひとつは、「ウチ」と「ソト」におけるコミュニケーションの方法の違いです。「ソト」の人と話す時、日本人は嫌悪や反対の感情を一切見せることなく、非常に礼儀正しく親切な態度を取ります。対立を引き起こしかねないような感情や意見を表すことは失礼だと考え、「ソト」の人にはわからない微妙な身振りや声色を使います。日本人はこういったことを巧みに行うので、不慣れな人は相手が完全に同意しているものだと思ってしまいがちですが、実際は日本的に礼儀正しくしているにすぎず、全く同意していないのです。もし相手が本当に同意しているのか、或いは単に礼儀正しく振舞っているだけなのかがわかならければ、相手にイスラムの真の教えを納得させる妨げとなるのです。

4.目で見えないものは信じない

 日本のように物質主義的な国においては、人々は自分の目で見えるものしか信じようとしません。自分の目の前にないものは信じることができないのです。目に見えないもの(Ghayb)を信じることはイスラムを受け入れる根本ですから、これは日本におけるダアワの障害の一つだと言えます。

B.日本社会の特性からくる理由

1.集団意識

 日本社会は全体として一つの集団を形成し、さらにより小さな集団に分化しています。この社会で活動していくためには、誰もがいずれかの集団に属していなければなりません。そして、そうすることによって強い安心感が得られるのです。家族や友人、仕事仲間といった社会的集団の慣習に従わないという脅威は、個人を喪失させます。 >>>>次のページへ