シャリーア(アッラーの定めし掟−人間の表面的な行為の規範)とハキーカ(真理−人間の精神的な道しるべ)を学問的に調合させることに成功した、イスラーム史上最大の思想家にして学者のひとり、アブー・ハーミド・アル=ガザーリー師(西暦1058〜1111年)。イランのホラーサーン地方トゥース出身の彼は、ラテン名「アルガゼル」としても有名だ。数多い著作の中でもとりわけ有名な彼の代表作、「宗教諸学の復活(イフヤー・ウルーミ=ッ=ディーン)の第一巻「サウムの秘密」章から、今年のラマダンに向けていくつか学ばせていただくことにしよう。
まずは彼の慣例通り(ガザーリー師に限らず、諸学者一般の慣例でもあるが)クルアーンとスンナの引用から、サウムの徳を確認したい。
≪サウムは、信仰の4分の1を占めるものである。『サウムは忍耐(サブル)の半分。(訳注1)』、『忍耐は信仰(イーマーン)の半分。(訳注2)』と預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)のお言葉にあるとおりだ。
それからサウムは、もろもろの義務行為の中でも至高のアッラーに直接結びつけられる点で特別である。『すべての善行には10倍から700倍の報奨を。断食斎戒だけを除いては。それはわがためにあり、われがそれに報いよう。(訳注3)』と預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)の口を借りて至高のアッラーが言われていることからも明らかだ。
至高のアッラーは、直接こうも仰せられている。
『まことに耐え忍ぶ者たちには限りない報奨が与えられよう。』(第39ズマル章10節)
サウムは忍耐の半分であり、その報奨は推量や計算の枠を超えているというわけだ。サウムの徳に納得するには、預言者さまのお言葉をいくつかあげれば十分であろう。
「わたしの自我を手中にする御方に誓って。断食斎戒する者の口臭は、アッラーの御許では麝香(じゃこう−ミスク)の香りよりも芳しいのです。至高のアッラーは仰せられています。『彼(断食斎戒する者)が欲を抑え、食べ物も飲み物も口にしないのは、わがためである。サウムはわがためにあり、われがそれに報いよう。(訳注4)』」
「ジャンナ(天国)にはライヤーンと呼ばれる扉があり、そこからは断食斎戒する者たち以外は入れません。(訳注5)」
サウムの報奨には、至高のアッラーとの謁見も約束されている。預言者さま曰く、「断食斎戒する者にはふたつの喜びがあります。イフタール(断食を解く食事)をとるときの喜び、そして主とお会いするときの喜びです。(訳注6)」
「すべてのものには、入り口があります。イバーダ(崇拝行為)の入り口はサウムです。(訳注7)」
さらにアブー・フライラによれば、預言者さまは次のように言われた。「ラマダーン月に入ると天国の門が開かれ、地獄の門は閉ざされます。シャイターン(悪魔)どもは足かせをつけられて、『善行を求める者は来たれ。悪行を求める者はおとなしくせよ。』と呼びかける者の声が響き渡ります。(訳注8)」≫(宗教諸学の復活1/310より)
以上、実はガザーリー師のクルアーンやハディースの引用はまだまだ続くが、ここでは思い切って割愛させていただきたい。サウムをするにあたっての必要不可欠な行いや、サウムを無効にしてしまう諸点など、いわゆるサウムの基本は、イスラーム法学での解説に譲ることにしよう。
「サウムの秘密」に関して、ガザーリー師は「サウムの秘密と内面的条件」という小題で次のように解説している。
≪サウムには、三つの段階があることを知るがよい。普通の人のサウム、特別な人のサウム、特別な人の中でもさらに特別な人のサウムがそれである。
普通の人のサウムとは、食欲と性欲を前述(本稿では割愛)の条件に基づいて抑えること。
特別な人のサウムとは、耳と目、舌と手足、身体の全器官を罪から守ること。
特別な人の中でもさらに特別な人のサウムとは、低俗な関心事や世俗的な思いから心を引き離し、至高のアッラー以外のものすべてから全身全霊を守ること。それゆえこの種のサウムは至高のアッラーや審判の日以外のことを考えただけで無効になってしまう。あるいは宗教的な目的で考えるこの世(その場合は現世的なことも来世の糧となりうるため)とは別に現世的なことを考えた場合もまた然り。心の清らかさを常に求める者たちは次のように言うくらいである。
「日中にイフタールは何にしようかなどと思いをめぐらす者には、過ちが加算されるだけである。なぜならそうした思いを抱くのは、至高のアッラーの恵み深さに対しての信頼が足りないからであり、約束されたアッラーの糧に対しての確信が足りないからである。」
これは預言者たち(ナビーユーン)や篤信者たち(スィッディークーン)、アッラーの近くまで高められし者たち(ムカッラブーン)の位階にほかならず、理論的にその位階について語るには限界があるが、いかにしてその位階に達するか、実践の何たるかはわかる。自らの全身全霊すべてでもって至高のアッラーに近づこうとし、アッラー以外のものからは離れ去ることだ。
さて、特別な人、つまり正しき人たち(サーリフーン)のサウムに関して言えば、それは罪から身体の全器官を守ることであり、これから述べる六つの事柄を満たすことで達成されるものである。
ひとつ−見るべきではないものすべて、心を捉えて至高のアッラーを思い起こすことから自らの想念を遠ざけてしまうものすべてから、目を閉ざし、見たいという欲求を抑えること。
預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われている。「一目(見るべきではないものに目を)やることは、アッラーに呪われしイブリースの矢から出た毒の矢を受けるようなものです。ですからアッラーを畏れてそれを振り払う者には、至高のアッラーが心に甘美な信仰をもたらしてくださいます。(訳注9)」
それからジャービルがアナスを通して伝えるには、アッラーの御使いさま(アッラーの祝福と平安あれ)は次のようにも言われている。「五つのものは、断食斎戒する者のサウムを無効にしてしまいます。嘘、陰口、悪口、偽の誓い、欲に身をまかせて一目やることです。(訳注10)」
ふたつ−ばかげた話や嘘、陰口や悪口、辛らつな言葉、口げんかから舌を守ること。そして沈黙を心がけ、至高のアッラーを思念(ズィクル)し、クルアーンの読誦に励むこと。これを舌のサウムと呼び、ビシュル・ブン・アル=ハーリス(訳注11)が伝えるには、(預言者さまの孫弟子にあたる)スフヤーン(訳注12)は「陰口はサウムをダメにしてしまう。」と言ったという。またライスが(同じく孫弟子にあたる)ムジャーヒドの言葉として伝えるには、「ふたつのものはサウムを無効にしてしまう。陰口と嘘だ。」とのことである。
さらに預言者さまは次のように言われた。「サウムは盾のようなものです。ですから皆さんのうち誰かがサウムをしていたとしたら、淫らな行いや愚かしい振る舞いをしてはなりません。そして誰かが争いをけしかけようとしたり、罵り始めたりしても、「私は断食の身です。私は断食の身です。」と言って相手にしてはなりません。(訳注13)」
ある伝承によれば、「アッラーの御使いさま(祝福と平安あれ)の時代にあるふたりの女性が断食をしたという。日暮れ近くになって彼女ら二人は猛烈な飢えと乾きに襲われ、このままでは倒れてしまいそうだとアッラーの御使いさま(祝福と平安あれ)のところへ断食を解く許しを請いに行った。御使いさまは彼女らのもとに人を遣わそうと、うつわを持たせて伝言を伝えた。「彼女ら二人に伝えてください。あなたたちが食べたものをこのうつわに吐き出しなさい、と。」すると彼女らのうち一人がどす黒い血と新鮮な肉を吐き出し、もう一人もまた同じように血と肉を吐き出して、うつわが一杯になった。人々がその知らせに驚いたので、御使いさまは次のように説明されたという。「彼女ら二人はアッラーが許されたものから身を制して断食し、至高のアッラーが禁じられたもので断食を解いたのです。隣り合って座り、二人して人の悪口を言い始めたのでした。さしずめ彼女らが吐いたものは、彼女らが食べた(悪口を言った)人たちの肉と言えます。(訳注−つまり人の悪口を言うことは、その人の肉を食べるにも等しい卑しい行いだということ)(訳注14)」
みっつ−耳にすべきでないものすべてから、耳を守ること。というのも、言うべきでないものはすべて耳にすべきでもないからである。それゆえに至高のアッラーは禁じられたものを貪る者と嘘偽りに耳を傾ける者とを等しく並べて言われている。
『かれら(不信心に競う者たち)は嘘偽りばかりを聞き、禁じられたものを貪る。』(第5アル=マーイダ章42節)
『なにゆえに聖職者や律法学者は、彼らが罪深いことを語り、禁じられたものを貪るのを禁じようとはしないのか。』(第5アル=マーイダ章63節)
それから陰口を黙って聞き過ごすのも禁じられたこと(ハラーム)である。
至高のアッラーは仰せられている。『(誹謗中傷する者たちと同席した)ならば汝らも彼らと同類である。』(第4アン=ニサーゥ章140節)
またそれゆえに預言者さま(祝福と平安あれ)は次のように言われたのである。「陰口をたたく者とそれに聞き入る者は、罪を分け合うのです。(訳注15)」
次号に続く
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