Niametullah Khalil Ibrahim Yurt師
 
 2015年7月26日東京ジャミイにて
http://www.nimetullahhoca.net/
 通常はトルコ在住だが、日本国内いろいろなところに出没する謎の「白ひげのおじさん」「白ひげの聖人」。この方がニアマトッラー師。師の経歴の詳細は分からないが、次のように伝えられている。
 
  1932年トルコ、Amasha県、Tasovaに生まれ、Amasha県のムフティ メフメット・アリー・エフェンディに師事し、また、多数のイスラム学者から学んだ。その後、イスタンブールのイスマイールアガー学院でクルアーンを学んた。
 1955年師はスルタン・アハメト・モスク(ブルー・モスク)のムアッズィンに任命された。メフメット・エフェンディ、セイヤド・アルバシといった著名なイスラム学者の第2イマームも務めたという実績から、以降、イマーム、ダーイン(布教師)として国内で一目を置かれる存在となった。その後海外でも活躍し、世界各国のムスリムたちから尊敬されている。
 
 師は、自分自身のことをほとんど語ってくれないので、これ以上は書けないが、私なりに書いていこう。

 師は、主にトルコと日本を行き来し、アラブ諸国や東南アジアにも出没しているようだ。
 白ひげにいつも白装束を纏い、仙人そのものの装いであらわれる。誰にでも親しく話しかけ、すぐに友達になろうとする。下のように「アッラーのほかに崇拝する神はなく、ムハンマドはアッラーの使者である。」と書かれた名刺を配り(下の写真参照)、この言葉は最も美しい言葉と説明をする。師の目は、相手に優しく微笑みかけながら、心の中まで見通しているようだ。師の心には一点の曇りもなく、目をみただけで、その信仰篤さ、優しさ、親しみ、誠実さ、純粋さなどが一度に伝わってくる。そういう人である。だから誰からも愛され、尊敬される。
ニアマトッラー師が配る名刺。
この名刺を師から手渡された人はラッキーです。イスラムのホームページ管理人


 「アッラーのほかに崇拝する神はなく、ムハンマドはアッラーの使者である。」という言葉は、信仰告白の言葉ではあるが、ムスリムに対しても同じように最も美しい言葉だと語る。この言葉のもとに、ムスリムはみな兄弟として一つになり仲良く暮らさなければならない。宗派の違い、考え方の違い、小さい違いはすべて受け入れよう。ムスリム同志が仲たがいをすること、殺し合いをすることなどあってはならないことなのである。師のイラストがすべてを物語っている。

 ニアマトッラー師は、数年前突然私の居る新居浜マスジドにタブリーグ・ジャマーアートの人たちと一緒にやってきた。若い時にイスマイールアガーというスーフィーのナクシュバンディー教団の有名なコーラン学院に学んでおり、タブリーグの人たちとはある面一線を画するはずだが、師にとっては一線はないようだ。みんなに交じって、充実したダアワの旅を続けているようだった。。
 師はいつもの装いで、硬い新居浜マスジドの床の上にそのまま横たわっていた。私が挨拶にいくと、ゆっくり起き上がり、優しい目で迎えてくれた。私にとって初めて師とお会いした瞬間である。一緒に話し、一緒に礼拝をし、それ以外の時間は忙しそうに働く私を見守っていた。また、私の周りにいる日本人にも言葉をかけイスラムの生き方を紹介していた。どこに居ても、誰に対しても、時間さえあればイスラムの素晴らしさをアピールする師であった。タブリーグの一行は一泊して次のマスジドへと移動することになった。師は、働いている私のところにやって来て、自分が一番大切にしているものだといって、師が愛用しているタスビーフを私にくれた。いつまでも絆があるようになのか、または、働くだけではなく、ズイクルをすることも大切だよと教えれくれているのかもしれない。

 その日以来、いろいろなところで会うことが多くなった。東京ジャミイやイスラミックセンターその他イベントでもお目にかかった。
 2015年7月26日おつきの人を従えて東京ジャミイに現れた。イスラミックセンタージャパン総会後また東京ジャミイに来られた。もう83才のはずだが、頭は冴えきっているし、フットワークは軽い。東京ジャミイに訪れる人たちはみんな自分の孫だと思っているかのように接し、名刺をくばっている。
 何がこんなにダアワをせさるのであろうか?師の以前の語ったことのなかに、「21世紀はイスラムの世紀に必ずなる。救世主マハディはもう間もなく再臨してくる。」と言ったものがあった。師の中には、人類のためにも、マハディ再臨の前に、ひとりでも多くの人にイスラムを伝え、いい世の中を作っておかなければという使命感があるのかもしれない。

 TOPに掲載した写真は2015年7月26日撮影したものだ。師の周りにはいろいろな人が集まってくる。おつきの人は必ず居るし、師に会うためにやってくる人も多い。師が存在するだけで、オーラを発し空気がなごやかになる。そういう徳のある人のようだ。

 もう一つの師の一面を紹介しておこう。私が師と別れる時に、握手をしたのだが、師は私の手に口づけをしてきた。とんでもないことだ。すぐさま私は腰を低くして、師の手に頭をつけた。こんな長老にして、謙虚でまったく威張らない。それどころか自分より20歳以上若い未熟者に、尊敬のポーズを取るこの方(きっと師は日本人でありながらムスリムである私を見てとても嬉しいのだろう。)、どのように私は対応しなくちゃいけないのだろう。