イブン・ハズムの『鳩の首輪』
和合の章

前嶋信次著




恋人と結ばれて和合するは人生の至上の幸福である。いな、人生の更新であり、永続 する喜びであり、アッラーのいともかしこきお恵みなのである。この世がかりそめの 宿りで、試練と苦悶とに満ちていて、天国は徳行を積んだものにしてはじめてその報 償として許されるところの安楽境であるとしても、愛するものと結ばれることは、ま じり気のない純粋の幸福であり、悲しみに穢されることのない喜悦であり、願望の完 全な実現であり、夢の間然することなき現実化なのである。


私はこれまでにあらゆる種類の快楽を経験し、あらゆる程度の喜悦を味わって見た。 その結果として発見したことは、王侯の家の公子と親しくなることも、富を得ること も、無くて困っていたものを見つけ出したことも、長い間留守していたあと家庭に戻 ってきたことも、恐れていたことが無事にすんだことも、安全な隠れ場に落ちついて ほっとくつろいだことも、これらのうちのどれ一つとして、愛する相手と結ばれたと きほどに強く魂をゆり動かすものはないことを覚った。ことに長い間、拒まれ、たえ ず退けられていたあとで、和合が実現した場合は、なお更のことである。なぜかとい うと、そのような場合は煩悩の炎が燃えさがり、焦れの炉が灼熱し、ひたむきな願望 がいよいよ荒れ狂っているからである。雨のあと、みずみずしい草が萌えでることも 、春の夜の雲が流れ去ったあと、黎明と日の出との間のすがすがしい時刻に咲き匂っ た花も、百花咲き乱れた野辺を流れゆく小川の響きも、緑こまやかな樹園に囲まれた 白壁の楼閣のたたずまいも、これらのうちどれをとっても、心がら相愛し、性格も素 直に、すぐれた素質が葵しく調和した愛人同士の和合ほどに可憐なものはないのであ る。このような歓喜と、甘美さとに対しては、いかにさわやかな弁舌をもってしても 表現することは出来ないし、思慮もただとまどい、理智もただ茫然としているのみで ある。


私の知っているある娘さんのことであるが、ある高貴な家の子息のことを、ひそかに 思いつめていた。けれど若者の方は、そんなことには全く気がついていなかった。女 は長い間、悩みぬいたのち、とうとう恋わずらいにかかってしまった。しかし全くの 生娘で、恥ずかしさのあまり、相手に打明ける勇気もなく、また相手を心がら尊敬し ていたから、自分などが、相手の気に入るかどうかもわからぬのに、そのようなこと を申し出て篤かしては梅すまぬと思っていたのである。けれど、ついに思いあまり、 心のたけを、ある世故に長けた、そして彼女が信頼していた一婦人、つまり自分の乳 母に打明けて相談した。すると、老女がすすめたのは、「詩にことよせて、思いのほ どを伝えてごらんになっては」ということであった。女はそれに従って、何度も繰り 返して詩を送ってみたけれども、男の方は何の注意も払わなかった。それでは、その 若者が覚りが鈍くって、詩に託した心のほどがわからながったためかというと、決し てそんなことはなかった。実際はその反対だったが、女が自分に対して、そんな感情 を持っていてくれるなどとは、まったく気がつかなかったところから、それらの詩に 託キ、れた裏の意味などを考えてさえ見なかっただけのことであった。


とうとう、女の方は、赤熱の情念に堪えることが出来なくなった。もはや我慢も限界 に達したのである。そのようなころのある晩、二人は他人を交えずにしんみりと講じ 合う機会を持った。ところが、アッラーはよくご存知であるが、この若者というのが 、まことに端正で、己れを律するにきびしく、はしたない真似など、とても出来ない 性分であった。女の方は別れを告げて帰ろうとしたが、もはや感情のたかまりをどう にも抑えきれなくなったものだから、突然にふりむくと、若者の口に接吻をあたえた 。そうして、一言もいわず、なまめかしい身のこなしで、その場を立ち去ったのであ る。その様子を想像して、私はつぎのような詩をつくって見た。


楚々として おとめが細き腰をふり 去りゆくさまは

花園に そよ風うけて 水仙の花の か弱く揺るるごと。

金の耳輸の ちんりんと鳴る音さやけく 恋びとの

胸にひびきて 愛着の切なき思いを伝うらん。

おとめ歩みの可憐さは 白き小鳩のそれに似て

おそきにすぎず されどまた みにくきほどに速からず。


若者は箔然とし、うろたえ、困り切っていた。心は深くかき乱され、どうしてよいの がさっぱりわからなかった。しかし、女の姿が消えるや否や、自分の心が致死のわな にかかってしまったことに気づいた。そして胸は烈火に焼かれる思いで、溜息があと からあとからと続いた。多くの不安が殺到し、あらゆる憂悶のとりことなってしまっ た。眠りに見放されてしまい、長い夜な夜なを、目を閉じることさえかなわずに、床 上に鞭転とするようになった。こうして、この二人の恋ははじまり、数月月間続いた のだったが、やがて冷酷な別離の手が、二人の申し分ない和合の綱を断ち切ってしま った。


私はイブン・バルタールの名で知られたザカリーヤー・ビン・ヤフヤー・アッ・タミ ーミーの令嬢のことをよく知っているが、コルドバの大法官ムハンマド・ピン、ヤフ ヤーは、この娘さんの父方の伯父である。さて、宰相にして軍司令官でもあったザカ リーヤーは、二人の部将とともに、有名な国境の戦いで、ガーリブ(サカーリバ、す なわちスラヴ系傭兵部隊の将軍)のため殺されてしまった。


そのあと、娘さんは、従兄弟にあたるヤフヤー(伯父ムハンマドの子)の妻となった けれど、その夫も、二人が幸福の絶頂にいたとき、突然に世を去ってしまった。妻は 悲歎にくれ、夫が息をひきとった夜、同じ臥床に、一枚の掛け蒲団の下で、冷たくな った夫を抱きしめたまま朝に至った。こうして、亡夫と、楽しかった二人の和合とに 永遠の別れを告げたのである。それから後も、彼女は亡き人のことをひどく悲しみ、 やがて自分もそのあとを追ってみまかったのである。


また、高貴の家に生まれて社会的地位も高く、信用のおける一友人が、私に話してく れたことであるが、彼はまだ若かったころ、その一族の某の屋敷にいた年若い女奴隷 を慕うようになった。しかし、書い寄るすべとてもないので、狂おしいまでに恋しが るだけだった。その友にいわせると、「ある日のこと、わたしたちは、叔父のひとり に連れられて、コルドバの西郊の野原にある一族の御地に遠足にでかけました。果樹 園の中をそぞろ歩きしているうちに、人家のあるところからは遠く離れてしまいまし たが、とある流れのほとりで休憩することにしたのです。そのうちに、にわかに空が かき曇って、雨が降りはじめましたが、一行は、みんなが身を包むことが出来るほど の雨具を用意しこていなかったのです。叔父は、従者の一人に、わたしに被いをかけ てやれと命じ、それから、あの娘に、わたしと同じ被いの下にはいっているがよいと 指図しました。わたしひとりで、あの娘を独占したあの楽しさ!いかようにもご想像 ください。みんなの見ている前だったけれど、誰ひとり疑いをかけるものなんどおり ませんでした。ほんとに二人っきりになったのと同じような素晴らしいめぐり合わせ でしたよ!アッラーにかけて、あの日のことをわたしは決して忘れないでしょうね!」


それはもう遠く遠く過ぎ去った日の思い出だったのだが、彼はこの話をしながら、も う全身で笑いくずれ、嬉しさのあまり身をふるわしていたことを、私は思い出すので ある。




書名

著者

出版社

出版年

定価
イスラームの陰に
ISBN: 4309472176
前嶋信次 河出書房新社 1991 本体660


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