スーフィ修業道の理論的反省

井筒俊彦著




以上、我々はイスラーム初期、ウマイア朝からアッバス朝時代にかけて出現した修道 者達の実践的側面、特にその消極的「否定道」内側面を見て来たが、しかしこれら初 期の隠遁者には、こういう消極面のみでなく、いささか理論的活動の端緒をなすとも 見られるような積極的側面もあった。この側面は「ズィクル」(dhikr)と「タワッ クル」(tawakkul)との二つによって代表される。


ズィクルとは「唱名」の意であって、詳しく言えば、コーラン第三三章の神命に従っ て「アッラーハ!」「アッラーハ!」と絶えず休みなく神の聖名を呼び、いわば「た だ念仏して」というように、無念無想の瞑想三味に没入することである。元来、イス ラームの正統的宗教法の規定するところによれば普通の信者は全て一日五回定時の礼 拝を行わねばならぬことになっているが、初期の修行者達はこのような儀式的外形的 礼拝だけではあきたらず、深い信仰を有する人は昼夜を分たず神の名を唱え統けなけ ればならないとした。この唱名こそ、イスラーム神秘道における最も基本的な典礼的 要素であって、今日に至るまでスーフィズム諸集団の行事の中核をなしている。


もう一つの要素であるタワックルとは「依存」を意味し、どのような宗教においても 重要な要素として認められるところの絶対者(神)に対する帰依、従順の態度を極端 にまで推し進めたもの、すなわち絶対受動的寂静主義の極限である。これはさきのズ ィクルが典礼的要素であるに反して、倫理的要素であり、特にこの第一期の修業道の 顕著な徴標である。彼らの信じるところによれば、神の道に奉仕する者は、自己の個 人的利害関係に対しては絶対完全な無関心を守り、全てにおいてありとあらゆる人間 側からの率先的行動を差控え、ひたすら神の定めに依存しなければならない。この原 理にもとづき、彼らは「明日」をありと思わず、「昨日」を顧みることなく、ただそ の目その日を神の導きのままに暮し、あらゆる商売、職業に従事しないことは勿論、 日々の糧を他に乞い求めることすらせず、病にかかっても薬をとらず、自己を恰も湯 灌者の両手の間にある死体のように神の御手にうち委せることを理想とした。


ところがこの頃、イスラーム世界には後述するように、ギリシャ哲学が酒々と流入し て来て、全思想界を新プラトン主義の濃厚な雰囲気にひたして行った。そしてこれら の世を棄てた隠者達でもそのある者はその強力な影響を被らざるを得なかったのであ る。すなわちこのような人々は単なる修道号としての行から転じて思索的傾向をとり 、自分の内的体験に知性的反省を加え、さらに進んでこれに理論的基礎を与えようと さえするに至った。がくて始めて本来の意味に拓げる神秘主義思想、即ち思想として のスーフィズムが成立するのである。


従来の隠遁者が、あらゆる現世の絆を断絶し、全身全霊をあげて神の聖意に捧げつつ 行うところの難行苦行は、全て来世における魂の救済という純宗教的目的に向うもの であり、いわば難行苦行(アスケーシス)そのものが地上生活の目的であった。とこ ろが今やその目的のありかは一転し、禁欲的修業は、行者が自己の魂を清浄にし、そ の表面を遮蔽する曇りを拭掃して、恰も明鏡の物を映すごとくに神の姿を魂に映し、 神を識り、最後に神と合一するための手段であると見做されることになった。この重 大なる思想的転向を醸成し激成したものこそ、ほかならぬプロティノス的な流出論と その動的神秘哲学だったのである。神、すなわち至高至聖の「存在者」は全存在界の 中心にあって燦爛と輝く光源であって、この光源から脈動しつつ迸出する光の波は悠 遠宏大な宇宙に降り灑ぎ、明滅交錯して五彩に映えわたり煌く。故に人もまた内面に 向って冥想を深め、物質的被覆を一枚ずつ破棄し脱ぎ棄てて行くならば、次第に聖光 が直接にその魂を照徹して、遂には現象的存在の優は全て取りはらわれ、魂は神的光 源そのものの中に消融し、忘我奪魂、神人具合の妙境を窮めることができるであろう 、という考えである。


このようにイスラーム初期の修道者たちに思想的刺戟を与え、彼らの体験の理論化に 哲学的基底を提供したものは主として新プラトソ主義であったけれども、さればと言 って、神秘主義的体験内容の思想的把握は、当時の哲学界から直接流入して来たヘレ ニズム的潮流だげのしわざでは決してなかった。すなわち初期スーフィーたちが、自 己の体験を哲学的に反省するといっても、それは彼らが新プラトソ主義哲学の影響の 下、いわば素手で、全くの始めから独力で思索し始めたことを意味するのではない。 彼らが自分の体験を反省的に追体験し、それを理論的に把握して行くに際しては、新 プラトン主義的神秘思想のほかに、さら紅シリアのキリスト教神秘主義が重要な影響 を与えたのであった。それはスーフィズムが思索的傾向をとり出したそもそもの始め から、「愛」という観念に比類ない優勢な住地を認めた一事によっても察知すること ができる。


「愛」はシリア神秘主義の最も顕著液特徴である。元来、シリアはエジプト、インド 、ペルシャと並んで古代東洋における神秘主義の一大中心地であるが、シリアのミス ティシズムは、他国のミスティシズムが主として瞑想的であるのに反して、著しく実 践的であった。すなわち、それはミスティシズムそれ自身であるよりも寧ろアスケー シスの実践道であった。しかし今我々が当面の問題としている時代、すなわちイスラ ームの求道者達がこれと親しく接触する頃には、この実践的シリアの神秘道もニネベ のイスハークをはじめとして多くの優れた理論家を出していた。もとより理論家とい っても、シリアにおいては飽くまでアスケーシスの実践が主であって、彼らは決して 純論理的哲学的思索に耽ることはなかったが、ともかくもその実践道の道程は少なく とも反省的に把握され、一種の自己内化の過程として把握されていた。外面から内面 へ、すなわち外面に向い外的事物を追求しようとする感性的人間の自然的方向を自己 の内面に向って転回させ、厳密な苦行修練を通じて自己の内奥へ、より内奥へと内面 化を推し進め、外面的要素を一つも余すところなく全人格をあげて悉く内化した時、 いわば外面的人間として完全に死に切った瞬間、正にその時にこの死の底において、 輝く神の姿に接しようとする独特の神秘道がそれであった。


その説くところによれば、現世は求道者にとってかりそめの一夜の宿にすぎぬ。あた かも遥か彼方の国を目指して長い旅路にのぼった旅人が、今宵一夜の宿にと泊った旅 籠を明朝は早やばやと立ち出でて二度とふたたびそこに戻って来ようとは夢にも思わ ないように、修業者も神の国を目指す旅人として現世という宿屋に暫くの時を過ごす のである。故に彼の霊魂にとってはこの汚い旅籠屋は牢獄にも等しいものであり、そ こで食べる最も甘美な食物も彼の口には最も苦い毒薬、そこに見出される最も美麗な 風光も彼の目には地獄さながらの姿に見える。すなわちこの世の生命は死の淵におけ る生命である。人は生きながら死んでいるのである。故に人は一度この死における生 に死にきることによって却って新しい生に生きかえらなけれぽならない、換言すれば 、外面的人間は、その身につけているありとあらゆる外面的なものを完全に脱ぎすて ねばならぬ。海中に躍り込んで真珠を獲ようとする海人は、まずその着物を脱がなけ ればならない。全てを脱ぎ棄て素裸になって自ら海中深く躍り込んで始めて彼は貴い 宝を獲得することが出来る。そのように、現世の着物を全部脱ぎ放って身に一糸をも 残さぬ人にして始めて、かの最も価値高い真珠「最高実在」に達する資格を得るので ある。そしてこのようにして現世を超脱することに成功した求道者は、もはやこの世 の煩いに心を乱されることなく、来る日来る日が彼に顕示する尽きせぬ実景に眺め入 りながら無限の感謝と歓喜とをもって一歩一歩向上の道を辿って行く。この向上の道 を導いて行くものが「愛」にほかなら液い。すなわち、ここに至って修業者は現世の 何物にも心をひかれることなく、ただ行半はるかに何やら神々しい光を認め、それに 対する止むに止まれぬ欲求の念のみに引かれて前進するのであって、この強烈汝欲求 を愛というのである。


しかしこの聖なる愛は現世的愛とは全然性質を異にする。現世的なものによって惹起 される普通の愛は油皿にひたした燈心の焔のように油が尽きれば自ら消え、また大雨 によって砂漠に生じた川の如く雨水が涸れれば何時の間にかなくなってしまう。これ に反して神への愛のみは底知れぬ深処から滾々と湧きあがる泉のように、その流れは 永遠に絶える時がない。こうして神に対する愛に燃え、心を浄めつつ神を求めて魂の 清浄な奥処に到達した修業者は、そこに深く秘められていた目もくらむばかりの神の 栄光に接し、言慮を絶した永遠の美に全てを忘れ、ただ悦惚として眺め入る。これこ そ苦行の道を歩む修業者の旅の目的地である、と。


さて、ここに略述したシリア神秘遺について、そのイスラーム神秘主義に斑する闘孫 という観点から見て特に重要なところが二つある。その一は勿論「愛」に儀高な意義 を認めたこと、つまり修業の道にある人々を導いてその魂を高く、より高く、昇らせ る原動力はそれらの人々の胸中に点火される「神にたいする愛」であるという主張で あり、他の一つは修業道の究極において打開される境地が「美」であること、すなわ ち神を「光のなかの光」とか「まぶしきばかりの光明」とか「至高の美」とか呼び、 この美を観る側の体験を説明するのに「魂を蕩揺するこの美を観ては、人は恍惚主し て我を忘れる」とか「煌然と光り輝くものが魂を撲つ」などの表現を使用していると ころから推して、ここに説かれている体験は殆ど芸術的美的観想の体験と見做すべき ことである。勿論、この「美」も「愛」も共に純然たるプラトニズムであるが、これ がイスラームに入ると流れは二つに分れ、「美」の側面は別途の新プラトソ主義の思 想と合流混交して見分げ難くなり、「愛」の側面は鴬外な方向に発展して、「恋の悩 み」と「美酒の陶酔」という二つの典型的なイマージュに代表される極めて官能的な 実存体験となる。




引用:ページ180-186 ⇒

書名

著者

出版社

出版年

定価・円
イスラム思想史
ISBN 4122017947
井筒俊彦 東京・中央公論社 1991 780



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