日本人の学生・エジプトの首都カイロにて



なぜイスラームは日本人に理解しにくいか
Why is it difficult for the Japanese to understand Islam?

牧野信也著




日本という国はそれ自身、生きた宗教の博物館のようだ、とよくいわれるほど、我々 の周囲には居ながらにして様々な宗教がみられる。日本古来の神道、 奈良時代以来の仏教のいろいろな形態、また、下って戦国時代および明治時代に入っ てきたキリスト教、またその他にも天理教、大本教をはじめ、大小様々な新興宗教と いわれるものまで含めると、その数はどれほどになるであろうか。

このように、日本人はこれまで土着の諸宗教の他に代表的なものだけでも、仏教およ びキリスト教といった世界の主要な宗教を驚くべく包容力をもって受け入れたばかり でなく、それぞれを徹底的に追求して完全に自分自身のものにし、さらには、そこか ら全く日本独特なものを生み出してきた。すなわち、仏教の場合、それがもとインド に興り、次いで中国において展開した後をうけて、日本においてはそのいずれの国に も見られなかったようない独自の方向に、深くしかも広く展開していった。また、キ リスト教の場合についても、先に入ったカトリシズムの場合もそうであるが、とりわ け明治以降、急速に流入したプロテスタンティズムの場合、始めは単純にこれを受け 入れるにすぎなかったが、次第に単なる西欧の模倣ではなく、精神主義を重んずる日 本人のメンタリティーの一面とも強く共鳴して、精度や儀式よりも神の言葉としての 聖書にもとづき、神の前での個々の人間の実存的決断としての信仰を重視する日本独 特のキリスト教が、わずか一世紀そこそこの短い期間に形成された。

ところが、日本人の仏教およびキリスト教との深く緊密な関わりにひき比べ、仏教、 キリスト教と並んで世界の三大宗教の一つに数えられるイスラム教と我々日本人はそ の歴史の過程を通じ、今日に至るまでついに決定的な出会いの機会をもたなかった。 これは上述のように従来、日本人が様々な宗教をたぐい 稀な包容力をもって受け容れてきたことと考え合わせるとき、極めて不思議なことで ある。

なお、日本語の「イスラム」という名称は明らかにヨーロッパ語の Islam からきており、これは従来,我々日本人がこの宗教に関する情報をつねにヨーロッパ を介して得てきたことを端的に表している。我々はこの宗教を、ヨーロッパを介して ではなく、直接知り、そして理解するように務めるべきであり、より 原語に忠実な名称の方が良いと思われる。

さて、イスラームは日本人にとって最も馴染みの薄い宗教であり、イスラームが日本 人にとってわかりにくい宗教である、ということは単に漠然とした印象ではなく、実 は一つのはっきりとした事実であり、また、それには相応な理由と根拠がある、と考 える。

まず第一にイスラームにおいて宗教というものがどのように捉えられているか、一口 にイスラームといううけれども、これは極めて多様で複雑な文化の構造体とも呼ぶべ きものであり、その中には、普通我々が宗教の領域に属するものと考え教義や儀礼や 戒律などがふくまれるばかりでなく、この世における政 治、法律、経済に関する事柄、そしてさらには日常生活の端々にいたることまで、す べて包み込まれている。すなわち、イスラームにおいて宗教とは、人間 生活のある特定の部分にのみ関わることではなく、文字通りそのすべてを覆うのであ る。

例えば仏教やキリスト教と異なり、イスラームはこの世界を、時間的にも空間的にも 、聖なる領域と俗なる領域に分けるということをしない。人間生活のうちのある特定 の部分を神聖なものとして他の日常的・世俗的な部分から切り離すことをしないので ある。

イスラームには、キリスト教の協会に当たるような神聖な場所も、また牧師や僧侶の ような聖職者も存在しない。例えば、モスクと呼ばれている礼拝堂があるが、これは 、聖壇や聖水があって、礼拝のみでなく、秘蹟も行なわれる協会とは全く異なり、単 に集団の礼拝と説教の行なわれる場所である。また、ウラマーと呼ばれる人々がいる が、イスラームにはそもそも僧侶としての身分というものはなく、ウラマーは僧侶で はなく、コーランとそれに関することを研究する学者に他ならない。イスラームにお ける宗教の独自な捉え方というものは、我々にイスラームの理解を困難にさせる第一 の要因をなす、と考えられる。

次に、我々のイスラーム理解を困難にする第二の点に注意を向けてみよう。イスラー ムは多様で複雑な内容をもった宗教であるが、これを巨視的な立場から見た場合、次 のことが注目される。すなわち、それは二つの面を持っているが、両者は互いに全く 逆の方向を向き、正反対であるため、果たしてそのいず れもがイスラームという一つの宗教であるか、と疑われるほどまでに対照的になって いるのである。したがって、イスラームのもつこお相反する二つの面のうち、どちら を見るかによって、我々が心に描くイスラームのイメージが全く異なってくる、また さらには、正反対にさえなってしまう。こうして、二つのうちのどれが本当のイスラ ームの姿であるのか、わからなくなってしまうのである。

ここで、正反対の二つの面と単に言ったが、これについてもう少し詳しく述べる必要 があると思われるので、まずその一方から見ていくことにする。

元来、アラブ人はその思考様式の特徴として、インド人のように観念の世界に広く想 いを馳せるのでも、またギリシア人のように精緻な論理的思考を展開するのでもなく 、なによりもまず、目の前にある個々の物を比類なく鋭い目で凝視し、また身のまわ りの微かな物音をも研ぎすまされた耳で聞き分け、こうして得られた明確な情報に基 いて具体的かつ即物的に考え、行動していく。

もちろん、彼らもまれには観念の世界に注意を向けることもあり、ことに人間の死の 問題はイスラーム以前のアラブが真剣に取組んだおそらく唯一の形而上的テーマであ った。注意すべきことは、彼らは純粋に観念的な次元で死について想いをめぐらした のではなく、現にこの世に生きている人間がどのようにして死なない身となることが できるか、という形で、具体的な体との関わりから死の問題を追究したので ある。具体的・即物的思考こそ、彼らがものを考える場合の基本なのである。

さて、預言者ムハンマド自身このようなメンタリティーを持つアラブの一員であった し、またイスラーム発生後、まずアラブがこの宗教の担い手となったとき、イスラー ムは預言者の活動の後半、メディナ時代以降、一つの独自な方向へ展開することにな った。預言者がその活動を始めたメッカ時代には、預言者自身にとっても、また彼の もとに集まった信徒達にとっても、イスラームは、神から下された啓示の言葉に従っ て個々の人間が直接、その主人である神の前にしもべとして己れを投げ出し、服従す ることであり、その意味で、宗教は神と人との間の個人的・実存的問題であった。

ところが、預言者のメディナ移住以後、彼のまわりには信徒達の共同体が形成され、 神に帰依した信徒達相互の同胞としての関係が大きくクローズアップされ、イスラー ムは最初の個人的・実存的な生の体験に基いたものから、著しく社会的性格をもった 宗教となり、また急速に制度化されていった。そしてこのような方向に向ったイスラ ームの立場からは、人間が現に生きているこの世界が肯定的・積極的に把えられる。 イスラームにおいては、あくまで神の意志に従って現世をより良いものへと 建て直していこうとする。では、神の意志は何によって知ることができるか、という と、それは極めてはっきりしており、一つは神の言葉としてコーランと、もう一つは 預言者ムハンマドがその活動の様々な状況で語った彼自身の言葉、および行ない、こ の二つに神の意志は表われている、と考えられている。

それで、預言者がこの世に生きていた間は、人々はコーランによるなり、あるいは彼 に直接尋ねるなりして神の意志を知ることができた。しかし預言者の死 後、イスラームはまたたく間に広大な地域と様々な人間の集団の中へ急速に広まり、 その結果、イスラーム教徒の構成する社会は日に日に複雑となり、それに応じて、以 前には想像もつかなかったほど多様で複雑な状況が次々と現われるに至り、こうなっ ては次々と起こってくる現実世界のいろいろな問題をコーランと預言者の言行のみに 照らして処理していくことは到底できなくなった。

そこで、預言者の死後一世紀を経た頃から、イスラームの法学者達はコーランと預言 者の言葉を様々に解釈することにより、その中から人間生活のあらゆる局面における 行動を、(1)何を絶対すべきか、(2)何を絶対すべきでないか、(3)何をして もしないでもよいか、(4)何をした方が良いか、(5)何をしない方が良いか、の 五つの基準に従って分類し、一つ一つ規定していく広い適用性をもった法の体系を作 り上げていった。これがイスラーム法といわれるものに他ならない。しかし、これは 法といっても、我々が普通考えるような意味での法律ではなく、その中には宗教に関するものが含まれている。

したがって、ここで筆者が問題にしているイスラームの相反する二つの面のうちの一 つ、現実主義的側面に関するかぎり、イスラーム法に定められていることがらを一つ 一つ忠実に行なっていくことが神の意志に従って行動することであり、これはイスラ ームという宗教を文字通り生きることに他ならない。この点で、イスラーム法は即宗 教であることになり、このように宗教を法という明確で具体的な形で把えていく方向 は、アラブ人が本来もっている上述の即物的存在感覚を考慮するとき、その一つの発 現形態として理解できるであろう。

これまで見てきたイスラームの現実主義的側面は、普通、スンニー派と呼ばれるもの のもつ根本的特徴である。このスンニー派によって代表される現実主義 的側面に対して、イスラームにはそれと正反対の内面主義的、ないしは理想主義的な 側面があり、これはイラン的傾向の強いシーア派の特徴である。こうして、スンニー とシーアの対立はイスラームを大きく二分する。ただし、アッラーは唯一絶対の神で あり、ムハンマドは神の使徒であり、コーランは神の言葉である、といったイスラー ムの根本信条においては完全に一致するが、その他のほとんどすべての重要な点で、 両者は鋭く対立する。

スンニー的イスラームでは、神の意志に従うとは、イスラーム法に従うことであった が、シーア派的イスラームでは、それはイスラームの内面にひそむ精神的実在に従う ことを意味する。シーア派もイスラーム法を否定するわけではないが、イスラーム法 の中に内面的・精神的実在を認めるやいなや、神の意志といううものの捉え方がすっ かり変わってしまう。 スンニー派によって代表される現実主義的方向と、シーア派によって代表される内面 的・理想主義的方向、この相反する二つの面がイスラームという一つの宗教を形作っ ているので、我々の目に映ずるイスラームの姿が何ともいえない複雑な二重の像とし てあらわれ、そのために我々のイスラーム理解が困難になるのではなかろうか。

また、我々のイスラーム理解を困難にする第3の点として次のことを付け加えたい。 今述べた相反する二つの面のうち、内面主義的あるいは精神主義的な側面についいて いえば、これは我々日本人にとって、もちろん、完全にではないが、ある程度それに 共感し、また多少はそれを理解することができるのではなかろうか。といううのは、 日本人はどちらかといえば、宗教といううものを心の問題として捉えようとする傾向 が強く、またそのような伝統もある、とみられるからである。 また、イスラームの研究についてみても、日本ではそれはまだ緒(ちょ)についたば かりであるが、しかし、シーア派に限らずイスラームの上述のような精神主義的側面 に関しては、その数は少ないけれども、極めてすぐれた業績があげられている。

これに対して、もう一つの面としての現実主義的で、形式や制度を重んずる方 向は、我々にとって理解することが非常にむつかしいであろう。すなわち、そこでは すでに見たようなイスラーム法という、いわゆる宗教の領域のみではなく、人間生活 のありとあらゆる領域にわたる行動を逐一規制する法の体系がとりも直さず宗教その ものなのであり、およそイスラーム教徒たるものは、心の中でただ観念的に信じるだ けでは不十分で、 このように定められた「おきて」を一つ一つ忠実に行なっていかなければならなず、 それが神の意志に従って真にイスラームを生きることに他ならないからである。 要するに、ここでイスラームは単に信仰や信条の問題であるにとどまらず、例えば、 何を食べ、何を飲むべきか、といった日常生活の端々にまでわたる、人々の生活様式 、またさらに広くは、文化のあり方といううものと深く関わっているのである。

引用:「ハディース:イスラーム伝承集成」上巻、ブハーリー編纂、牧野信也訳、中央公論社
付録1:「なぜイスラームは日本人に理解しにくいか」、牧野信也著)
付録は牧野信也先生の「イスラームとコーラン」(講談社学術文庫、1987年)からの 引用です。


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