中野宅にて―日本のイスラム化

アブデユルレシト・イブラヒム著
小松香織・小松久男訳




イスラムのために日本にしっかりとした基礎を築くにはどうすればよいか。日本のイスラムは、いかなる力もこれを揺るがすことのできないような堅固な基礎の上に確立せねばならない。私はいつもこればかり考えていた。そこで、ある目のこと、中野氏の家でもう一度この問題について議論をすることにした。その日は私と中野の他、もう一人私の連れがいるだけであった。中野は一刻も早くモスクとマクタブ[学校]との建設に着手したいと考えており、いつもその方策を練っていた。もっとも、その一方では東洋の統一間題に考えをめぐらすことも忘れてはいなかった。



私は次のように所見を述べた。



「我々の目的は日本にイスラムを広めるとともに、東洋の覚醒と統一とをはかり、これによって東洋を外国の侵略から防衛するために尽力することです。何よりもまず、この思想の普及に努めるべきことを忘れてはなりません。私はムスリムですから、いつもイスラムの美点ばかり強調するかもしれませんが、この問題は、イスラムの原理である人道主義の観点からも検討することができます。



今日ヨーロッパ人が東洋に対してとっている政策は、イスラムはもとより人道の根幹を揺さぶっています。人間であれば、中国やインド、チベット、トルキスタンの現状をみて戦燥を覚えぬことはありますまい、野蛮なキリスト教徒たちは文明というカーテンに隠れながら、自分たちの浪費や婦人の化粧代のために東洋市場のすべてを犠牲にするつもりであり、自分たちの生活さえ薩保できればそれでよいという考えから、東洋のあらゆる民族の安寧と精神とに危害を加えています。もっとも憂慮すべきは、まさにこの事実なのです。東洋の生命をこの残酷な侵略者の攻撃から救う手だてを考え、この道に力を尽くすことは、人間のもっとも神聖な使命と言わねばなりません。



インドの民衆を見てごらんなさい。三億を越えるインド人が(ムスリムだけではなく異教徒も含めて)、ヨーロッパ人からは家畜同然の扱いを受け、あらゆる人権を奪われています。イギリスはインドの全収益の半分を土地税として徴集します。インド人はみな一年十ニケ月畑に出て汗を流し、この間さまざまな支出もするのですが、イギリス政府は文明の名において(純益ではなく)全収入の五割を取り上げるのです。ちょうど二等分というわけです。



これに引き換え、インド人はどれほどの屈辱を強いられ、どれほど堪え難い罰や打擲を受けていることでしょうか。イギリス人と対等の人権を認められたインド人は一人としておりません。インド人の将校は、たとえロンドンの最高学府を修了して将軍の階級に昇ったにせよ、イギリス人の一兵卒ほどの敬意も払われず、最下位のイギリス人将校に対してすら敬礼をせねばならないのです。インド人であれ誰であれ、これに抗議でもしようものなら、たちどころにインド洋上の無人島に追放され、そこからどこへ行こうとも、二度と再びインドに帰ることはできません。これらはすべて文明、すなわち二十世紀文明の名においてなされる蛮行にほかなりません。



こうした現状を人道の観点から検討してみると、問題は東洋の生存にからんでいることが分かります。我々はこの点により一層注目しなければなりません。ヨーロッパ人自身はこのような不正がどういう結果を招くか、また自らの悪行をこのまま続けてゆくことは不可能だということにはずっと前から気がついており、ここ四半世紀末ほど、来るべき白色人種と黄色人種との衝突に備える必要を新聞紙上で盛んに説いています。東洋人といえどもいつまでも彼らの蛮行に堪え忍ぶことはありえず、いずれは大きな反乱が起こるかもしれぬ、彼らはこうした想定をしながら、なおかつ罪深い行動を止めようとはしないのです。ヨーロッパ人は、たえず黄禍論を煽り立てることによって、救いを見出そうと夢想しています。黄色人種との戦いに備えて血戦を切り抜ける用意を整えるよう、今から同胞に訴えているのです。



我々も彼らの動きに無関心ではありえません。少なくともこれを迎え撃つだけの用意はしておかねばなりません。私が二十年来心にかけているのはまさにこの問題にほかならないのです。ヨーロッパの新聞をご覧なさい。多数の記者や旅行者が、[オスマン帝国領内の]マケドニアではキリスト教徒の信仰が迫害を受け、教会での宗教儀礼が侵害された云々、かと思えば中国やチベット、アフリカでしかじかの宣教師が侮辱を受けたなどの事件を人道の名において報道し、これらについておびただしい書物や論文を著しています。しかし、東洋では何億という人々があらゆる人権を奪われているという事実について、一行でもこれを報じた正義漢がはたして何人いたでしょうか。本当に考えなくてはいけないのはここなのです」



中野曰く、


「先生、私たちもこの問題はよく考えているつもりです。何度も議論をしたことがあります。しかし、このようなことをまともに考える人間が東洋にはいないのです。何とも大きな過ちを犯したものです。どれほど悔やんでも足りるものではありません。いったい我々は自分たちのことしか知らず、勝手な憶測をして無知に身を委ねてしまったのです。何とつまらぬ考えを盲信して、無為に時を過ごしたことでしょうか。日露戦役の前に先生にお会いしていたら、さぞかし大きな働きができたでしょうに」



もう一人の連れが曰く、


「開戦の一年前、何千という仲間がロシア全土をくまなく歩きましたが、だれ一人としてタタール人と接触した者はおりません。何たる不注意でしょうか、漸愧に堪えません。先生にこうしてお近づきになれませんでしたら、いつまでも無畑のままでいるところでした。しかし、これからはいささかなりとも失敗を償う所存でおります。どんな任務を遂行するにしても、どうか我々を導かれ、イスラムはもとより人道の見地からも、われらをわが子と思って教え育てて下さるようお願いいたします。我々のどんな誤ちであれ、みな叱って下さらねばなりません。先生はわれらの導師でありますから」



中野曰く、


「もう一度申し上げます。東洋世界に最大にして最強なる民族ありとすれば、それはトルコおよびタタール民族です。彼らはみな古来よりイスラムに改宗しています。そうだとすれば、わが日本にあっても一刻も早くイスラムが普及することこそ、東洋統一の唯一の手段ではありませんか。ですから、イスラムの象徴たるモスクの建設も早ければ早いほどよろしかろうと思われます。こうした意味で東京にモスクの礎を築くことができましたら、それは偉大な前進ではないでしょうか」



「あなたの意見にはまったく同感です。しかし、これから理由を話しますが、これはあまり焦らぬ方がよろしいでしょう。まず、今のところイスラムに改宗した日本人はほとんど皆無です。ムスリムがたいしていないのにモスクの建設に取りかかっては、危険を招くおそれがあります。また、イスラムてばこのように新しい改宗者の出た所にモスクを建て、宗教儀礼を行うためには、最高のイマーム職たるカリフから許可をもらわねばなりません。こういう問題を考えれば、モスクの建設を急いではならない理由がおわかりでしょう」



中野曰く、


「先生、その許可の話はさておき、もう一つの問題はご心配には及びません。我々がモスクの建設に取りかかりましたら、何千という日本人がイスラムに改宗することは間遠いありません。勧誘を始めようではありませんか。我々には言葉も筆も何でもあります。私の友人は一人残らず改宗するはずです」



第三の人物曰く、


「先生。イスラムとは何か、その信条と要目とは何か、我々はこれをすっかり学習しましたから、どうか心配なさらないで下さい。この方面のことは我々にお任せ下さい。何十万という人がイスラムに入信します。日本人はこれぞ真理と理解したら、それに向かって突進する真理好みの民族なのです。イスラムの真理を理解すれば、キリスト教徒ですら改宗するにちがいありません。我々が誘導してみせます。



しかし、許可の問題はいささか厄介です。イスタンブルには大使もおりませんし、オスマン帝国とはまた正式の国交がありません。ここはひとつ形式を踏まねばなりますまい。そのためには、先生に行っていただくのがよろしいかと思います。許可の件は先生にお任せします。我々はここで一所懸命意見をまとめるよう努力するつもりです。これでよいかと思いますが、残る問題は先生が行ってこられるかどうかです。いかがでしょうか」



「何をおつしやる」



「いいえ、何といっても先生はご老体です。道は遥かですから、行かれても戻って来られなかったら、と心配せずにはいられないのです。先生は若者ではありません。行かれた後が気がかりでならないのです」



「いいや、年寄りなどとは言わせませんぞ(笑い)。ただ、いささか経費がかさみましょう」



中野曰く、


「先生、費用のことはご心配なく。大切なのは仕事です。これからもう一度同志を集めて相談しなければなりませんが、これは二、三日で片付きます。許可の件は、やはり先生に行っていただくのがよろしいでしょう。ところで先生、東洋の統一間題はどのようにお考えでしょうか。詳しくお聞かせ下さると大いに勉強になるのですが」



「万事は自然の摂理に従って動きます。ご存知でしょう、この世界で最大の力は火です。もっとも水に触れるや、この火もたちどころに力を失います。そうでしょう。けれども、いったん火が身を隠して水に作用を始めると、熱の法則でこれをなくしてしまいます。つまり、水を鍋に入れて火にかければ、水は蒸発してなくなってしまうということです。



このように、我々もしかるべき準備を整えてから、イスラムを広めようではありませんか。西洋人もこれを阻むことはできません。彼らは自滅します。ただし、我々もはじめはまず盾の後ろに身を隠さねばなりません。しかし、いったん火が燃え上がり、一つの方向をとれば、水といえども効果はなく、火はこれを圧倒し去るのです。いったん火を起こしたら、あとは遠くからふいごで風を送りさえすればよろしい。これはきわめて自然な勢いです。きっとそうなるでしょうし、そうならねばなりません。しかし、はじめはまず忍耐が肝要です」



第三の人物曰く、


「先生、今日はたいへん勉強になりました。これからちょっと仕事がありますのでそろそろ行かねばなりませんが、今日の議論は中野が記録しておくでしょう。ではここで失礼します」



その日の会合は以上で散会となり、私は友人中山の家に戻った。





書名
著者
出版社
出版年
定価
ジャポンヤ・イスラム系ロシア人
の見た明治日本

ISBN 不明
アブデユルレシト・イブラヒム著
小松香織・小松久男訳
東京・第三書館 1992 本体2500


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