ズィクル修行



井筒俊彦(Izutsu Toshihiko)先生


まずズィクルの行に入るにあたりまして、修行者は二重の浄めをいたします。すなわち斎戒沐浴して体を浄め、それと同時に心のなかのあらゆる欲情、汚れた想念をとめて心を静め、浄めます。



内的な浄めといいますと、荘子のいわゆる心斎を想い起されるかと思います。ご承知のとおり、「荘子」内篇の第四章(人間世篇)の中で荘子は、ふつうに斎戒とか、ものいみとかいうと、酒を飲まず、いやな匂いのするものを食べるのを控えたりして身体を清浄な状態にすることだと考えられているのに対しまして、そんなものよりずっと大切なのは心斎、すなわち内的な斎戒、内的なものいみだと説き、それは己れの心を全く虚しゅうすることだと言っております。スーフィズムでも外的な、身体的な浄めと同時に、内的な心的な浄めの必要性が修行の第一歩において強調されるのであります。もっともズィクルにおいて要求される内的浄めは、荘子の場合のように、道の最後の段階で実現する絶対的無我、虚心の状態ではなくて、ただ一応の準備的な表層意識の浄化にすぎませんけれど。



ともかくスーフィズムの修行はこの内外の浄めから始まります。そして内的、外的二重の浄めによって体と心とを清浄にしたところで、修行者はこんどは薄暗い静かな部屋に入ります。そして香を焚きまして、あぐらを組んでどっかり坐ります。われわれのよく知っている禅の坐禅とちょっと似ております。といいましても、その坐り方は結跏趺坐(けつかふざ)ではありません。ふつうのあぐらです。ただし、現代イランでいちばん大きくて、いちばん有力なスーフィー教団であるニィマトッラー教団(Ni 'matullah)では、あぐらではなくて、日本人が畳の上にかしこまって坐るときのように正坐します。そして坐っておいて、左右の両手を開いたままそれぞれ左右の腿の上におきます。そして、まずいまご説明しました文句の最初の否定的部分、ラー・イラーハ、「神はない」、「神は絶対に存在しない」というところからゆっくりと唱え始めます。



その唱え方は意識の集中点を体のいろいろな特定の部分に定位しまして、それをだんだんと移していく。さきほどもちょっと申しましたが、密教の修行に似たところがございます。まず全意識のエネルギーを集中しまして最初の言葉、ラー、「絶対に存在しない」という言葉を発音します。発音し始める体の場所は左側の乳の先端のところ、またある音の文献によりますと臍下丹田(せいかたんでん)だといいますが、ともかくそういう一定の場所から強く押さえながら、しかも下から上に押し上げるようにして発音します。そしてそのラーのアーという母音を、声を押さえてしかも力強く、長く引きのばして発音しながら、つぎの語のイラーハ、「神」という言葉に達します。そのときまでに意識のエネルギーの集中点は左の胸から右肩あたりまで移されます。このイラーハという言葉、これはさっき申しましたように一般に神を意味する言葉ですが、それを自分の右肩を越してうしろ側の投げ出すような気持ちで発音いたします。そしてそれが終るか終らないうちに全体の文句のこんどは後半のイッラッラー、つまり積極的、肯定的部分、「アッラーのほかには」という部分に移ります。



そのやり方は最初のイッラーという言葉を、こんどは自分の右肩の上のあたりから発音し始めまして、精神の集中点をしだいにもとの左胸のほうへ移してまいります。そして移りきったところで、力をこめて最後のアッラーという言葉をあたかもハンマーで杭でも土にうち込むような気合いで、自分の心臓のまっただなかにうち込むのです。こうして心臓のなかに衝撃的な力でうち込まれたアッラーという言葉は、魂をその自然の眠りから呼び覚まし、自分自身のなかにひそんでいる深み、つまり意識の深層を自覚させると想定されております。このズィクルを何べんも何べんも繰り返す。そしてその修行の過程は何日も何日も、人によっては何年も続けられます。



そのうちに、先にお話いたしました意識の第三層、カルブ(qalb)、心、つまり超感覚的認識の器官、粗大な感覚的器官とはまったく違った精緻な内面的器官であるカルブが発動し始めます。こうしてカルブの門が開かれますと、スーフィズムのいいうところによりますと、神的な光がいずこからともなく差し込んできて魂に浸透し、ついに魂は溢れるばかりの光明にひたされると申します。そしてこの純粋光明の領域において行者は自分の第二の「われ」、真我に出会い、そしてそれと完全に一体となります。このようにして現成した新しい「われ」を、スーフィズムでは「内面の人」とか「光の人」とか呼びます。大体において禅宗でいう「人」(にん)です。それに到達する途はまったく違いますけれど。「光の人」についてはまたあとでくわしくお話いたします。




井筒俊彦著作集5・イスラーム哲学
「イスラーム哲学の原像」からの引用(ページ400)
東京:中央公論社、1995年、ISBN: 4-12-403051-7、定6796価円


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