ハディース・イスラーム伝承集成
神の唯一性(五分の四)


ブハーリー編纂
牧野信也訳




三七
神の言葉「ムーサにはアッラーが親しく語りかけ給うた」(四の一六二〔一六四〕)。

(一)アブー・フライラによると、預言者は語った。「アーダムとムーサが言い争い、ムーサが『アーダムよ、お前のためにお前の子孫は楽園から追放された』と言うと、アーダムは『お前は神に使徒として選ばれ、じかに語りかけられた。それなのに、お前は、わたしが創られる以前に神によって定められたことによってわたしを非難するのか』と応え、アーダムはムーサを言い負かした」と。



(二)アナスによると、神の使徒は言った。「復活の日、信仰者達は集められ、『このような惨めな状態から救い出されるように、主に執成してくれる人はいないものだろうか』と言ってアーダムのところへ行き、『神はあなたを手ずから創り、天使達をあなたに跪かせ、すべてのものの名をあなたに教えられた。だからわたし達のために主に執成して下さい』と求める。すると、アーダムは『わたしはそれにふさわしくない』と言って、彼が犯した過ちを彼らに告げるであろう」と。



(三)シャリーク・ブン・アブド・アッラーがイブン・マーリクから聞いたところによれば、神の使徒がカァバのモスクから空を飛んだ夜、啓示が下される前に彼が聖なる礼拝堂で伯父のハムザおよび従兄弟の、シャウファルと眠っていたとき、三人の天使が現われ、第一の天使が「ムハンマドはどれか」と尋ねると、真中の天使が「最も美しい者だ」と答え、そして第三の天使が「彼を捉えよう」と言った。この夜はこうして過ぎ、翌晩また天使は翼われたが、ムハンマドの目は眠っても、心は常に覚めていたので、彼はこれらのことを心で見ることができた。因みに、昔の預言者達も、目は眠っても心は覚めていたのであった。


天使達は何も言わずに、いきなりムハンマドを捉えてザムザムの井戸のところへ連れて行くと、ジブリールが彼をつかまえ、その喉から胸へ向って裂き、胸と腹の中にあるものを取出してザムザムの水で洗い、内部がすっかりきれいになったところで、信仰と智恵で満たされた金の器がもたらされると、その中味を彼の胸と首の血管に注ぎ込んだ。


それから天使はムハンマドの傷を閉じた後、彼を連れて最下の天に昇り、戸を叩くと天の人々が「誰か」と尋ね、「ジブリールだ」と答えると、二緒にいるのは誰か」と尋ね、「ムハンマドだ」と答える。また「彼は預言者として遣わされた者か」と尋ね、「はい」と答えると、彼らは「ようこそムハンマド」と言って彼を迎えた。尚、天の人々は、主に知らされるまでは、アッラーが地上で彼に何をさせようと望んでおられたか知らなかった。


最下の天でアーダムを見つげ、ジブリールがムハンマドに「これはお前の祖先アーダムだ。挨拶しなさい」と言ったとき、彼が挨拶すると、アーダムはそれに応え、「ようこそ、わたしの子。何とすばらしい子よ」とよびかけた。その最下の天には二つの川が流れており、「この二つの川は何ですか」と尋ねると、ジブリールは「ナイルとユーフラテスの源だ」と答え、さらに天に昇って行くと、もう一つの川が流れ、その岸には真珠とエメラルドの城があり、水に手を入れると、それはミスクであった。「これは何ですか」とムハンマドが尋ねたとき、ジブリールは「主がお前にお授けになる宝の山だ」と答えた。


次に、天使がムハンマドを連れて第二の天に昇ったとき、天の人々は最初のときと同じように「誰か」と尋ね、「ジブリールだ」と答えると、「一緒にいるのは誰か」と尋ね、「ムハンマドだ」と答えると、さらに「彼は預言者として遣わされた者か」と尋ね、「はい」と答えると、彼らは「ようこそ、ムハンマド」と言った。次に天使が彼を連れて第三の天に昇ったとき、第一および第二の天で交されたと同じ言葉が交され、第四の天、第五の天、第六の天、第七の天のそれぞれに昇ったときも同様であった。そして各大には預言者達が居り、ジブリールはその名をあげたが、彼らのうちでムハンマドが憶えているのは、第二の天のイドリース、第四の天のハールーン、第六の天のイブラーヒーム、そして第七の天のムーサで、彼は特別の恩恵により神に直接語りかけられ、「主よ、これほど高く上げられると思いませんでした」と言った。


それから天使は、アッラーのみの知り給う理由から、彼を連れてこれらの天のさらに上に昇り、遂に天の果てのシドラの木に達し、全能の主と弓二つの距りに近づいた。このときアッラーが彼に示されたことの一つは「汝の民は毎日五十回礼拝すべし」という淀であった。そこで預言者が天の果てから下ってムーサのところへ行くと、彼はムハンマドを引き留めて「主はあなたに何を命じられたか」と尋ね、ムハンマドが「一日五十回の礼拝です」と答えると、「あなたの民はそれを行うことができないから、主のもとに戻り、あなたの民のためにそれを軽くして下さるようにお願いしなさい」と勧めた。これを聞いてムハンマドがジブリールの方を向いて意見を求めようとすると、天使は、よろしい、とうなずいてから再び彼を全能の主のもとに連れて行き、そこでムハンマドが「主よ、どうかもう少し軽くして戴けませんでしょうか。わたしの民はそれを行うことができませんので」と訴えたとき、神は十四の礼拝を減らして下さった。それからまたムーサのもとへ戻ったとき、彼はムハンマドを引き留め、さらに何度も主に訴えさせてやまなかったので、遂に礼拝は五回となった。しかしムーサはこれ を聞いて「ムハンマドよ、わたしはイスラーイールの民にこれ以下のことを求めたが、彼らは力及ばず、これを放棄した。ところで、あなたの民は体も心も目も耳ももっと弱いのだから、また主のもとへ帰って、さらに軽くして下さるようにお願いしなさい」と言った。そこで預言者が振り向くと、ジブリールはそれに応え、彼を五度目に神のもとへ連れて行った。こうしてムハンマドは「主よ、わたしの民は体も心も目も耳も弱いものですので、どうかさらに軽くして下さい」と求めたが、全能の主は「天の永遠の書<原話〈ウンム・ル・キとターブ〉は、啓典の母、すなわち天上には啓典の母体となるものがある、という考え>で定めたように、わたしの言葉は変えることができない。善い行いにはそれぞれ十倍の報いが与えられる。天の書では、礼拝は五十回であるが、お前には五回だけが課せられたのだ」と応えられた。ムハンマドはまたムーサのもとへ戻ると、「どうであったか」と尋ねられたので、「主は軽く」て下さいました。そして善い行いには十倍の報いをお与えになります」と答えた。しかしムーサはなおも「かつて、わたしはイスラーイールの民にこれ以下のことを求めたが、彼らはそれを 放棄した。だから、もう一度主のもとへ行き、さらに軽くして戴くようにお願いしなさい」と一言い張ったが、神の使徒は「ムーサよ、わたしはもう主に何度となく求めたので、恥かしくてお願いできません」と応えた。そこで天使は「下界へ下りよう」と促した。このとき目が覚めると、預言者は聖なるモスクの中に居たのであった。




三八
主が天国の人々と語ること。

(一)アブー・サイード・アル・フドリーによると、預言者は語った。「アッラーが『天国の人々よ』とよびかけるとき、彼は『はい、謹んでここに居ります。すべての善いことは御手のうちに』と応え、神が『汝らは満足しておるか』とお尋ねになると、彼らは『主よ、どうして満足しないことがありましょう。他の誰にも与えられないものをわたし達にはお与え下さいましたから』と答える。そして主がさらに『これよりよいものを汝らに与えようと思う』とおっしゃり、彼らが『これよりよいものとは何でしょう』と言うと、『我らは汝らに恵みを与え、もはや決して怒らないであろう』と応えられる」と。



(二)アブー・フライラによると、或る日、預言者は一人のベドウィンの居るところで信徒達に語った。「天国の住人の或る者が種を播くことの許しを主に求めたとき、主が『欲しいものは何でも与えておるではないか』とおっしゃると、彼は『はい、でも、種を播きたいのです』と応えた。早速、彼が種を播くと芽が出て、またたく間に熟し、刈取った束は山のようになり、主は『それを取りなさい。お前は満足していないのだから』と言われた」と。これを聞いてベドウィンが「それを貰えるのは、畑を耕すクライシュの人々やアンサールの人達だけで、わたし達はだめなのですか」と言ったので、神の使徒は大笑いした。




三九
神は命令を与え、人間はそれに、祈りと謙遜の行いと教えの伝達によって応えること。いと高き神の言葉「汝らこのわしのことを忘れてはならむぞ。さすれば、わしも汝らのことを忘れはせぬ」(二の一四七〔一五二〕)。「彼らにヌーフの話を聞かせる、かよい。彼がみなにこう言ったときのことを。『皆の衆、もしもわしがこうしてお前方の間にいることが迷惑なら、またわしがこうして始終アッラーの神兆のことばかり話してきかせておるのが迷惑だというのなら、わしはアッラーにすべてをお任せ申す。どうかお前方、自分の偶像たちともよく相談してどうなりと自由に行き方を決めるがよい。いつまでもぐずぐずしないように、ここですっぎりさせてしまう、がよい。このわしをどうする気か決ったら、さっさと遠慮なくやるがよい。ここでお前たちに背を向けられたとて、はじめからわしはお前たちから報酬を貰うつもりだったわけでなし。わしの報酬は全部アッラーから頂戴する。わしはただすべてを神にお捧げ申すよう言いつけられて来ただけだから』と」(一〇の七二〔七一〕−七三〔七二〕)




四〇
いと高き神の言葉「されば偶像のたぐいをアッラーと並べて崇めてはならぬぞ」(二の二〇〔二二〕)。「なんたることか、お前たち、大地を二日間で創り給うたお方を信仰せず、あまつさえ、これに沢山の競争相手を作り出すとは。かしこくも万有の主にましますお方」(四一の八〔九〕)。「アッラーとならべて他の神々を崇めたりせず……」(二五の六八)。「汝にも、昔の人たちにも、『もしもアッラーと並べて他の神々を拝むようなことをしたら、汝の仕事も無に帰して、もう絶対に浮かばれないぞ』とのお告げが出ておる。そうだ、お前の拝むべきものはアッラーを措いてほかにはない。必ず感謝の心抱く者の一人になれよ」(三九の六五−六六)イクリマは言った。彼らの大部分はアッラーを信ぜず、偶像崇拝者にすぎない。もしあなたが、彼らを創ったのは誰だ、そして天地を創ったのは誰だ、と尋ねるならば、彼らは、アッラーだ、と答えるであろうが、ただそれだけのことで、彼らはアッラー以外のものを崇めている、と。「万有を創造して、すべてを実事に整理し給うたお方」(二五の二)という神の言葉に従って、人間の行為の創造 について言われたこと。ムジャーヒドによると、「天使は必ず真実をもって下る」(一五の八)において、真実とは預言者の伝える報いと罰であり、また「これはもともとそれらの至誠の人々がどれほど至誠であるかお調べになるのが目的」(三三の八)において、至誠の人々とは神の啓示を伝える使徒達であり、さらに「我らが自らその番をしておる」(一五の九)においては、コーランのことがいわれ、信仰者はそれを信じ、復活の日には神に「これをあなたから授かり、わたしはその中にあることを行いました」と言うであろう。

(一)アブド・アッラー・ブン・マスウードは言った。わたしが預言者に「どの罪がアッラーの御目に最も大きいでしょうか」と尋ねたとき、彼は「あなたを創ったアッラーに並べて偶像を立てることだ」と答え、「それは確かに大きい罪ですが、次は何ですか」と尋ねると、彼は「口べらしのために子を殺すことだ」と答え、さらに「その次は何ですか」と尋ねたとき、彼は「隣人の妻と姦通することだ」と答えた、と。




四一
いと高き神の言葉「あなた方、現世で悪いことするとき、ごまかそうとしたが、まさか自分の耳や目や肌に証言されようとは夢にも思わなかったので油断した。アッラーはあなた方のしていることは大部分御存じあるまいと、たかをくくっていた」(四一の二一〔二二〕)。

(一)アブド・アッラー・ブン・マスウードによると、サキーフ族の二人とクライシュ族の一人−或る伝承によると、(サキーフ族の一人とクライシュ族の二人1がカァバの傍で出過ったが、彼らは体ばかり大きく、あまり利口ではなかった。そこで彼らのうちの或る者が「我々の言葉をアッラーは聞くであろうか」と言うと、他の者は「大声で話せば聞かれるが、そっと言えば聞かれない」と応え、またもう一人は「大声のとき聞かれるならば、小声でもきっと聞かれるだろう」と言った。このとき「あなた方、現世で悪いことするとき、ごまかそうとしたが、まさか自分の耳や目や肌に証言されようとは夢にも思わなかったので油断した……」という啓示が下された。




四二
いと高き神の言葉「天にあるもの地にあるもの、みなが願いごと持ち込んで来て、主は来る日も来る日もお忙しい」(五五の二九)。「いくら次々に新しいお諭しが下されても、みなは遊び半分に聞きながすばかり」(三の二)。「もしかすると後になってアッラーが何か新しい事態を惹き起し給うかもしれぬ」(六五の一)−「こんなお方はほかにはない。耳敏くすべてを見透し給う」(四二の九〔一一〕)という神の言葉に従って、神の行為は人間の行為のようではない。−イブン・マスウードは預言者から次の言葉を伝えている「アッラーは何でも意のままにお創りになり、神が定められたことの一つは、礼拝中、あなた方が話をしないことである」と。

(一)イクリマによると、イブン・アッバースは「あなた方は最も新しく神から示された神の書を持ち、一点のまじりけもない純なものとしてそれを読んでおりながら、なぜ啓典の民に彼らの書について尋ねようとするのか」と言った。



(二)ウバイド・アッラー・ブン・アブド・アッラーによると、イブン・アッバースは言った。「ムスリム連よ、なぜあなた方は啓典の民に何かを尋ねようとするのか。アッラーが預言者に下されたあなた方の聖典は神からの最も新しく純粋無雑の言葉であり、また神はあなた方に、啓典の民は神の書の一部を変えたり勝手に自分で書いて、これは神から来たなどと偽り、それを安値で売りとばすことを告げられる。あなた方が授かった真の知識は、聖典の民に尋ねることを禁じているではないか。神かけて、わたしは、彼らのうちの誰も、あなた方に下された啓示についてあなた方に尋ねるのを決して見たことがない」と。




四三
いと高き神の言葉「これ、そのように舌をこまかく動かして急くものではない」(七五の一六)−啓示が下るときの預言者の行為アブー・フライラが預言者から伝えるところによれば、いと高き神は「わたしの僕がわたしの名を唱えるために唇を動かすとき、わたしはいつも共に居る」と言われた。

(一)サイード・ブン・ジュバイルによると、「そのように舌を動かして急くものではない」という神の言葉について、イブン・アッバースは「啓示を受けるとき預言者は烈しい苦痛を感じ、唇を動かしていた」と説明し、サイードに「神の使徒がしていたように、わたしはあなたの前で唇を動かしてみよう」と言い、そしてサイードは「イブン・アッバースがしたように、わたしも唇を動かす」と言った。このように預言者は唇を動かしていたが、そのとき「そのように舌を動かして急くものではない。これを集め、これを調ませるのは我らの仕事。さ、我らが誦んでやるから、汝はその読誦について行くがよい」という言葉が下された。イブン・アッバースによると、集めるとは預言者の心の中に集め、これを誦ませるのであり、我らが誦み、汝は読誦について行くとは、先ず黙って天使の声に耳を傾け、その後で唱えることであるという。こうして、神の使徒は、ジブリールが啓示をもたらしたとき、これに耳を傾け、立ち去った後に、天使が唱えさせたように唱えた。




四四
いと高き神の言葉「お前たち、言いたいことをそっと心に秘めておけ、いやどんどんさらけ出せ。アッラーは人間の胸の思いは全部御存じ。御存じでなくてなんとしよう、万物を創造し給うたお方だから。裏の裏まで知りぬいて、なんでもわかっていらっしゃる方だから」(六七の一三−一四)

(一)イブン・アッバースによると、「礼拝にはあまり大声てとなり立てないように。と言うて、あまり小声でもいけない」(一七の二〇)という神の言葉は、神の使徒がメッカに隠れていたとき下された。すなわち、彼が教友達と礼拝するとき大声でコーランを唱えると、偶像崇拝者達はそれを聞いて、コーランとそれをお下しになったアッラーとそれをもたらした天使を罵倒した。そこで神は偶像崇拝者達が預言者の礼拝するのを聞いてコーランを罵倒しないように「あまり大声てとなり立ててはいけない。かと言って教友達に聞こえないほど小声でもいけない。その中間を取るようにせよ」と命じられた。



(二)アーイシャによると、「礼拝はあまり大声てとなり立てないように。と言うてあまり小声でもいけない」という言葉は、祈りについて下されたという。



(三)アブー・フライラによると、神の使徒は「我々のうちにはコーラノを大声で唱えない者は居ない」と言った。




四五
「或る男は神からコーランを与えられて夜も昼もそれを唱え、これを見て他の男が『もし同じようなものを与えられるならば、わたしもそうするであろうに』と言う」という預言者の言葉。これによって預言者は、コーランを唱えることは善行であることを示そうとした。−神の言葉「神兆の一つではないか、天と地の創造も、またお前たちの言葉や肌の色が様々に違っていることも」(三〇の一二〔二二〕)。「さあ、お前たち、……善行にはげめ。そうすればきっといい目を見られよう」(二二の七六〔七七〕)

(一)アブー・フライラによると、神の使徒は言った。「羨むべきは次の二人。神からコーラノを与えられて夜も昼もこれを唱え、それを見た他の人に『もし同じようなものを与えられたならば、わたしもそうするであろうに』と言われる人。そして、神から財を与えられてこれを正しく施し、それを見た人に『もし同じようなものを与えられたならば、わたしもそのようにするであろう』と言われる人」と。



(二)アブド・アッラー・ブン・ウマルによると、預言者は「羨むべきは次の二人。神からコーランを与えられ、それを夜も昼も唱える人と、神から財を与えられ、それを夜も昼も施す人」と言った。




四六
いと高き神の言葉「これ、使徒よ、神様から啓示されたことを人々に伝達せよ。さもないと、アッラーから託された伝言が伝わらないことになる」(五の七一〔六七〕)−アッ・ズフリーは、啓示は神から来て、使徒はそれを伝え、我々はそれに従わねばならない、と言った。「主は、彼らが主の言葉を間遠いなく伝えたかどうか確かめ給う」(七二の二八)。「わしはお前たちに主の御託宣を伝えに来た」(七の六六〔六八〕)−カァブ・ブン・マーリクが預言者から離れたとき、彼は「アッラーと使徒と信徒達がお前の行いを見るであろう」と言った。アーイシャは「人の行いに感心したときは、『そのようにしなさい。アッラーが使徒と信徒達と共にあなたの行いを御覧になり、誰もあなたを侮らないでしょう』と言いなさい」と言った。)

(一)ジュバイル。ブン。ハィヤがアル。ムギーラから伝えるところによれば、預言者は、主から受けた啓示に従って、「我々のうち、神のための戦で殺された者は天国に入るであろう」と言った。



(二)マスルークによると、アーイシャは「預言者は啓示の一部を隠している、と言う人を信じてはいけません。いと高き神は『これ、使徒よ、神様から啓示されたことを人々に伝えよ。さもないと、アッラーから託された伝言が伝わらないことになる』(五の七一〔六七〕)と仰せられましたから」と言った。



(三)アブド・アッラー・ブン・マスウードによると、或る男が「神の使徒よ、どの罪がアッラーのお目に最も大きいでしょうか」と尋ねたとき、彼は「アッラーと並べて偶像を崇めることだ」と答え、「次は何ですか」と尋ねると、「口べらしのために赤子を殺すことだ」と答え、さらに「その次は何ですか」と尋ねると、彼は「隣人の妻と姦通することだ」と答えた。そこで、この言葉を確証するために次の啓示が下された。「アッラーと並べてほかの神々を崇めたりせず、正当な理由なくしては、アッラーの禁を破って生あるものを殺すことなく、姦通を犯すこともない。こと、』のようなことをする者は必ず罪の報いを受けるであろう。復活の日には罰を倍にされて、屈辱のうちにそこに常とわまで住みつくであろう」(二五の六八−六九)




四七
いと高き神の言葉「彼らにこう言ってやるがよい、『さあ、ここへ律法を持って来て朗読してごらん、もしお前たちの言葉が真実であるのなら』と」(三の八七〔九三〕)。預言者の言葉「旧約の民は旧約を与えられてそれを行い、新約の民は新約を与えられてそれを行い、あなた方はコーランを与えられてこれを行った。

(一)イブン・ウマルによると、神の使徒は語った。「過去の民に比べ、あなた方の立場はアスルの時刻から日没の間にいる人のようなものである。先ず、旧約の民は旧約を授けられてそれを行い、昼になるともうそれ以上続けられなくなり、各々が一キーラートずつ与えられた。次に新約の民が新約を授けられてそれを行い、アスルの時になると、それ以上続けられなくなり、同様に一キーラートすっ与えられた。その後であなた方はコーランを授けられてそれを行い、日没になると、各々が二キーラートずつ与えられた。それで、啓典の民が『この人達は我々より少ししか働かないのに、より多く報酬を得たではありませんか』と言ったとき、神が『わたしはお前達に不当なことをしただろうか』と尋ねると、彼らは『いいえ』と応え、そこで神は『これはわたしが望むものに与える恵みなのだ』と言われた」と。




四八
預言者は礼拝を行為とよび、「開巻の章を唱えない者には礼拝はない」と言った。

(一)イブン・マスウードによると、或る男が預言者に「どの行いが最も良いのですか」と尋ねたとき、彼は「定めの時の礼拝と親孝行、そして次に神の道に戦うことだ」と答えた。




四九
いと高き神の言葉「思えば人間というものはまことにせわしなく出来ているもの。ちょっと災難に見舞われたといってはすぐいらいら、幸運が舞いこんで来れば忽ちけちけち」(七〇の一九−二一)。

(一)アムル・ブン・タグリブによると、富がもたらされたとき、預言者は或る人々には与え、他の人々には与えなかったので、彼らはその行いを非難した。これを聞いた預言者は次のように言った。「わたしは或る人には与え、他の人には与えないが、わたしが与える人より与えない人の方がわたしにとって好ましい。わたしは或る人達が我慢しきれないので与え、他の人々が、宝を積んだ驢馬よりも神の使徒の言葉を聞きたい、と言ったアムル・ブン・タグリブのように、富と良いものを神に与えられているため、彼らに信頼する」と。




五〇

(一)アナスによると、預言者は主の次の言葉を伝えている「人がわたしに一尺近づけば、わたしは彼に一間返づき、人がわたしに一間返づけば、わたしは彼に一文運づき、人が歩いて来るならば、わたしは急ぎ足で彼のもとへ行くであろう」と。



(二)アブー・フライラによると、預言者は「人がわたしに一尺近づけば、わたしは彼に一間近づき、人がわたしに一間近づけば、わたしは彼に一文近づくであろう」と言った。



(三)アブー・フライラによると、預言者は主から次の言葉を伝えている。「過ちにはそれぞれ償いが必要であり、断食は特別の行為で、わたしはそれに報いを与えるであろう。断食する者の口の嗅いは、アッラーにとってはミスクの香りよりもかぐわしい」と。



(四)イブン・アッバースによると、預言者は「人は、自分がマッターの子ユーヌスよりすぐれている、と言ってはならない」という主の言葉を伝えている。



(五)シュウバ、かムアーウィヤ・ブン・クッラから伝えるところによれば、アブド・アッラー・ブン・ムガッファル・アル・ムザニーは、メッカ征服の日、神の使徒が北路駝に乗り、「開巻の章」を唱えるのを聞いた、という。シュウバによると、ムアーウィヤはイブン・ムガッファルの唱え方を真似てコーランを唱え、もし人々が集って来る恐れがないならば、わたしは、イブン・ムガッファルが預言者のし方を真似て抑揚をつけて唱えたように唱えるであろうに、と言った。そこでシュウバがムアーウィヤに、その抑揚はどのようであったか、と尋ねたとき、彼は、アー、アー、アー、と三度やって見せた。




五一
トーラーおよびその他の神の書をアラビア語や他の言葉で解釈することは許される。いと高き神の言葉「彼らにこう言ってやるがよい『さあ、ここへ律法を持って来て朗読してごらん、もしお前たちの言葉が真実であるのなら』と」(三の八七〔九三〕)イブン・アッバースがアブー・スフヤーソ・ブン・ハルブから伝えるところによれば、東ローマ皇帝ヒラクルが預言者の手紙を持って来させ、通訳を呼んで読ませたとき、そこには次のように書かれていた。「慈悲深く、慈愛あまねきアッラーの御名において。神の僕そして使徒ムハンマドよりヒラクル閣下へ。『聖典の民よ、さあ、わしらとお前たちとの間に何の差別もない御言葉のところにおいで、すなわちみなでアッラーだけを崇めまつろうではないか……』(三の五七〔六四〕)」。

(一)アブー・フライラによると、ユダヤ教徒がトーラーをヘブライ語で読み、それをアラビア語でイスラーム教徒に説き明かしていたとき、神の使徒は信徒達に「彼らの言葉を本当だとも嘘だとも言うな。むしろ、ただ『われらはアッラーを信じ、われらに啓示されたものを信じます……』(二の一三〇〔一三六〕)と言いなさい」と命じた。



(二)イブン・ウマルによると、姦通を犯したユダヤ教徒の男と女が連れて来られたので、預言者がユダヤ教徒達に「二人をどうするのか」と尋ねたとき、彼らは「二人の顔に煤を塗って曝しものにします」と答えた。そこで彼が「さあ、ここへ律法を持って来て朗読してごらん、もしお前たちの言葉が真実であるのなら」と言うと、彼らはそれを持って来て、信用できる一人の男に「アブド・アッラーよ、読みなさい」と命じた。その男は読んで行き或る章句に達したとき、その上に手を置いたので預言者が「手を上げよ」と命じ、彼がそうすると、石打ちに関する旬が現われた。そこでユダヤ教徒達が「ムハンマドよ、彼ら二人は石打ちにされなければなりませんが、我々の問ではこの旬を隠すのがならわしです」と言ったが、預言者は二人を石打ちにするように命じ、その通り行われた。このとき男は女を石から護るために身をかがめていた。










書名
著者
出版社
出版年
定価
ハディース・イスラーム伝承集
下巻: ISBN 4124031378
ブハーリ編纂
牧野信也訳
東京・中央公論社 1991 本体9515



イスラミックセンターパンフレットのページへ戻る
聖クルアーンのページへ戻る
ホームページへ戻る