ムスリム女性の服装

Kareema T. Bah著




ムスリム女性の服装についてはこれまでも多くの人々により論じられていますが、それは、ムスリム同士でも頻繁に語られる話題の一つといえます。テレビ等に写し出されるムスリム女性の多くはスカーフ状の布で頭から首までを覆い、身体は長い衣服に包んでいます。それらは国や地域によって多少形態の違いはあるものの、ほぼ似通った雰囲気を持っています。ムスリムではない人々にとっては単にその地域の民族衣装、あるいは伝統的な服装と捉えられていることが多いと思われますが、それにはイスラームのルールに基づく確たる理由があるのです。そこで、クルアーンとスンナに則ったムスリム女性の服装とはどのようなものであるのかを以下に述べたいと思います。



イスラームの基本教義は、アラビア語でアッラー(謹んで称えます)と呼ばれる全宇宙の創造主たる唯一なる神より選ばれた、最後の預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)を通じて全人類へ向けて下された啓示であるクルアーンの中に示されており、その内容は信者の生活規範から信者集団の法規にまで及んでいます。クルアーンから教えられるものは、人間とアッラー(謹んで称えます)との信仰的接触のほかに、信仰を基盤とした共同体生活の倫理を重んじ、活力ある兄弟愛の世界の実現を理想としています。そのクルアーンの次にムスリムが重要視しているものは聖預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)の慣行で、ムスリムはそれらに従った生活をしようと努力します。「あなたがた信仰する者よ、アッラーとその使徒に従え。(かれの言葉を)聞きながら,かれに背いてはならない。」(第8章、戦利品:20節)。



イスラームでは、男女の関係は結婚においてのみ認められ、それ以外は醜行であるとされています. なぜならば、社会の基盤は家庭であり、そこでは夫、妻、父、母、子がそれぞれの権利と義務に基づいた役割を、信仰と相互の信頼や誠実さ、愛情を持ちながら果たしていく最も小さな社会が形成されているからなのです。結婚によらない男女の関係は、一見自由で進歩的な関係のように思われますが、彼等には互いの権利を主張し合うことはあっても、相手に対する誠実さや忍耐, 貞節といった義務は存在しないのです。そのような状態で安定した生活が期待できるでしょうか。ましてや、それが既婚者であった場合には、もっと重大な影響を与える事になるのです。夫婦の関係が破綻した場合に、次世代を担う子供たちが受けるであろう打撃は計り知れません。



アッラー(謹んで称えます)は、支障がなければできるだけ結婚をするように勧め、誤った道へと踏み込まないよう、避けるようにと忠告しています。しかし、人間は誘惑に負けやすい弱いものであり、近づいてはならないと言われただけでは自制が困難である事をも知っておられるアッラー(謹んで称えます)は、男女それぞれに対して不躾な視線や挑発的な行動をとることなく、お互いに貞淑であるようにと命じ、必要以上の接近を戒めています。このような理由も含めて女性の服装に関する啓示は下されたのです。(第24章、御光:30、31節;第33章、部族連合:54節)。クルアーンの中でアッラー(謹んで称えます)は女性に対して、自分の夫の他、親や兄弟といった結婚を許されない近親者や幼児等を除いて、自ずと表れる以外の美しさを見せてはならないと命じられています。自ずと表れる美についての解釈はイスラーム学者により様々な見解が示されていますが,礼拝の際には顔と手を出す事が許され,この二つの部分以外は覆われなければならない,という点では一致しています。また、アブー・ダーウードの伝えるハディースでは、聖預言者(彼の上に平安あれ)は、薄く透け る服を着て彼の前に来た義理の妹に対し顔を背けて、女性は年頃になればここを除きどの部分も見られてはならない、と言われ顔と両手を示されたとあります。



クルアーンと聖預言者(彼の上に平安あれ)の慣行に従ったムスリム女性の服装とはいかにあるべきかを、アブー・ビラール・ムスタファー・アル=カナディーが、彼の著書「クルアーンとスンナに照らしたムスリム女性の服装の在り方」の中で正しいヒジャーブ7つの条件として端的にまとめていますので、以下に要約して紹介します。それによると、ムスリム女性の服装は、顔と両手以外を覆い、身体の形や肌が透けて見えるような素材は用いず、身体全体をゆったりと包むものでなくてはなりません。それは、アッラーの使徒(彼の上に平安あれ)が、後世には見かけは服をまとっているが実際には裸同然の女性が現れることについて言及し、彼女たちは呪われていると言われたアッ=タバラーニーの伝えるハディースと、アフマド・アル=バイハキー、アル=ハーキムらによって伝えられる、聖預言者(彼の上に平安あれ)から贈られたある薄手の服を、自分の妻に着るようにと与えた男性に対して、彼女の身体の大きさや形が分かるのではと心配された預言者(彼の上に平安あれ)が、その下にシャツを着せるように彼に言われたハディースによって裏付けられます。確かに、身体にぴったりとし た服は、例え肌の色は隠したとしても身体の線を強調することによりその魅力を増すだけだからです。また、男性や不信仰者の服装に似ていることも避けなくてはなりません。これらの根拠としては、アブー・ダーウードの伝える、アッラーの御使い(彼の上に平安あれ)は、女の服を着た男、男の服を着た女を呪われたとのハディースや、人々に似た者は,その人々の仲間であると言われたハディースがあります。最後に、女性の服装は、同性も含めて、人に見せたり注目を集める為のものであってはなりません。なぜなら、アッラーの御使い(彼の上に平安あれ)は、誰であれ、この世でけばけばしい服をまとう者に対し、アッラーは、復活の日、恥辱と不名誉の服を着せられ、火で焼かれると言われたハディースが、アブー・ダーウードやイブン・マージャにより伝えられているからです。



まとめとして、ムスリム女性の服装は、彼女自身の美を他者から遠ざけるものでなくてはならないと言えます。それは彼女自身を守る為だけでなく、周囲のムスリムの為でもあるのです。なぜなら、見せてはならないとされた部分、いわば恥部を隠さない人に出会った時、はたして私達は平常通りの対応ができるでしょうか。ほとんどの人はそれを見ないようにと顔を背けたり、避けようとする事でしょう。もちろん、そのような状態では一緒に働く等、日常の生活にも支障を来たしてしまいます。私達がきちんとした服装をする事は自分自身の為だけでなく相手への礼儀でもあるのです。



そして、最も重要なのは、ムスリム女性がイスラームの規定に従った服装をする事は、礼拝や巡礼等をする事と同じように、アッラー(謹んで称えます)への義務を果たしている事に他ならないのです。様々な理由からこれらの規定を守る事ができていない場合でも、それがアッラー(謹んで称えます)の命じる事である以上決して否定はできないのです。



審判の日、現世で自分の行ってきた事の全てが明らかにされ、ある者は楽園へと、またある者は奈落へと来世での住処が決められ、たとえ親子であろうとも、その日誰かの責めを肩代わりする事はできません。その日がいつ来るのか、数百年後なのか,それとも数分後なのか、人間には全くわからないのです。人は自分のしてきた事についてのみ責任を負い、信仰においては,たとえそれが良い事であったとしても他者に強要する事はできませんが、アッラー(謹んで称えます)を信じる者は自分の好むと好まざるとに関わらず、その命じるところに従う努力をしなければならないのです。




引用文献

  1. 日本ムスリム協会 (1996)
    「 日亜対訳.註解 聖クルアーン」 日本ムスリム協会発行
  2. アブー.ビラール.ムスタファー.ル=カナディー (1991)
    「クルアーンとスンナに照らしたムスリム女性の服装の在り方」Abul-Qasim
    Publishing House,Jeddah,Saudi Arabia.
  3. 森本 武夫(1984)
    「イスラーム入門」 第一法 規出版株式会社




K.T. Bah: 改宗ムスリマ、松江市西川津町 748-113、Fax: 0852 25-2264


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